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2011年4月6日水曜日

旭川から夕張へ

旭川から芦別に抜け、芦別から夕張国道452号線を果てしなく進み夕張を目指した。途中通過した芦別は夕張同様その昔炭鉱町として栄えたところだが、車で中心街を通った限りでは往時の賑やかさを思わせるようなものはない雰囲気だった。


この日は晴天で、ペーパードライバーのために助手席に座るだけの私(運転係は常に母)はうつらうつらと何度か眠気に襲われた。数日前までいた東京での放射性物質の緊張感からくる疲れがまだ取れていないようだった。進展もないようで、思い出すたびにイライラする福島原発。イライラというより、今はもう憤りか、、、。

夕張国道の景色は道の両側を低い山に挟まれ、その手前にはまだ雪に埋もれた田畑があり、そうでなければ白樺林や他の落葉樹、針葉樹の細い木が茂るものだった。夏に来ると葉が生い茂り視界は相当に遮られるだろうが、初春の今頃だとまだまだ葉がないため、向こうの山の雪景色がはっきり見えた。そんな春の陽気も芦別から50キロほどのところにある三芦トンネルを通ったあたりからは空気がグッと冷え込んだ。やはり北海道は気が抜けない。それでも雪の残る稜線はジグザグに入り組み、微妙に木々のてっぺんの高さは異なり、興味を引く光景だった。

そんな雪景色の繰り広げられる山並みとは打って変わって道路に目をやると、雪はないものの路肩に泥のはねた雪の山が続いているのは、北海道の春の気配だ。

程なくして現れる桂沢湖は、未だ氷が張っているヒトデのようなかたちの湖だった。その近くには、今回は入らなかったが湯の元温泉もある。

夕張に行く途中で三笠市の方へと向かった。母が、三笠市の奔別に当時東洋一と言われた炭鉱跡あるというのだ。
どんなものかと寄ってみると、ものすごい廃墟跡だった。枯れ木は自然に帰るが、この枯れたコンクリートの建物は錆付く一方で、人間が何かをここでしでかしたらしいという痕跡だけを残した物悲しさだけが残っていた。それは長崎の軍艦島のようだった。地元の人曰く、この町はほとんどがお年寄りらしい。だからかとても静かだった。
東洋一だったという奔別の炭鉱跡

別の角度から

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昔、住友奔別炭鉱だったここの地は、現在は砂子炭鉱三笠露天坑となって石炭の露天掘りを続けている。まだまだ石炭は取れるらしい。今の日本に石炭の露天掘りをやっているところがあるとは以外だった。そして原発はいらないからここで石炭を掘ろうと思った(そんな根性私にあるか?)。

そんなことを思った折、一つの大きな喜びが私の目の前に現れた。この地に、なんと鹿が四頭いたのだ。敷地内には馬頭観音像があり、昔、馬を労働力として使っていたことを思わせた。続く、、、
馬頭観音

三頭の鹿が写っている
気のせいかもしれないが、若干煤けているように見える