文科省がいつの頃からか公表するようになった上水(蛇口水)、定時降下物のモニタリング結果を見て、顎が外れるかと思うほどに再度驚いた。3月21日くらいからの値に、ただ単純に最初の数字の後に続くゼロの数の多さに驚き、だからほとぼりが冷めるまで黙っていたのかと頷いた。そして、基準値内だろうが外だろうが、すっかり放射線という言葉がトラウマになり、金輪際さよなら放射線と、もう胃部バリウム検査はやらず、絶対に内視鏡で健康診断してもらうんだと心に誓った。
そんなことを心に決めた後に、今も闇の運び人となっている照明を落とした電車に乗って、検診で再検査となった検体をもち、とある病院へと向かった。人々はこの暗闇にすっかり慣れたようで、暗がりの中でも以前より表情がしっかりしているように見えた。
私が行った某総合病院は、3月末に行った時も大震災前より大分患者が少なかったのが、そこから3週間ほど経った今回は更に減っているとの印象を受けた。あれだけ治療に訪れていた人は、今どう過ごしているのか不思議である。
待合室で待っている最中、NHKがテレビの大画面で流れているのだが、福島県知事に東電の社長が謝罪しているシーンが映り、知事は原発再稼働は絶対にないと繰り返し社長に断言していた。うんうん、そして全国の原発も止めて欲しい。
もう桜が散って、木々の葉がすっかり空を覆ったかと思うと、朱色に近い赤色を放つサツキがきれいに歩道の垣根で咲いていた。今年の春は都内の大名庭園などで花を楽しむ機会がなかったが、身近でこうして春を楽しめることを嬉しく思う病院からの帰り道だった。
ところがサツキの赤から、福島原発の30㌔圏内にある町のいたるところでたむろしているという、それまで人と暮らしていた猫や犬の血の赤が連想され、突如花見気分ではなくなった。猫好きの私にとっては最も思い入れの強い猫の血の赤だけれども、元住民にとっては汗水たらして建てた家のトタン屋根の赤が無念に思われるかも知れない。
姫路城の大柱だったらあれほど盛り上がるのに、名もなきものたちは人間社会に組み込まれながらも人知れず簡単に放棄される。名はなくても魂はあるので、私はその名もなきものたちと心の交流をしようと思う。