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2011年4月7日木曜日

続き・旭川から夕張へ~炭鉱跡

(前回の続き)
三笠市から再び452号線に戻り、本来の目的地である夕張へと向かった。

桂沢湖を過ぎて10キロほどのところにはシューパロ岳に源をもつシューパロ川が流れているのだが、目の前の山並みに目を向けてもどれがシューパロ岳か私には見分けがつかなかった。近くの山並みの向こうには真っ白な雪で覆われた標高の高い山があり、その白銀の美しさは春の訪れすら忘れさせるものだった。

シューパロ川近くのシューパロ湖には大夕張ダムがあった。そしてさらに車を走らせると、突如大煙突が現れた。これは昭和9年から53年まであった旧北炭化成工業所の大煙突で、当時はコークスが製造されていたそうだ。そして現在は隣にあるユーパロの湯のシンボルとなっている。因みに煙突の長さは63メートル。夕張が炭鉱町であった名残の一端を見た最初だった。

大煙突

その後道草のようにして鹿鳴館なるところに入ってみた。今はレストランになっており、宿泊施設もあるそうだが、館内閲覧だけでも500円で入れる。

鹿鳴館は鹿の谷倶楽部として、北海道炭鉱汽船が全盛期だった大正2年に和風建築の粋を集めて建設され、昭和58年まで迎賓館のような施設として使われていた。館内には立派な陶器が多数並んでいて、昭和天皇が宿泊したという部屋も公開されており、当然こちらも立派なのだが、旧岩崎邸夕張版といったところだろうか。ただ、東京の旧岩崎邸や旧古河邸のようにメンテがこの後も行き届くことはこの活気の失せた町では期待できないと私には思われた。客は私たち以外に食事を終えて出てきた夫婦連れのみで、閑散としていたことはこの後行く夕張の町並みと変わらないものだった。
鹿鳴館

夕張市は財政破綻したことで有名だが、国際映画祭でも知られている町である。映画の町を売りにしているだけあって町の一角には最近亡くなったエリザベス・テイラー出演のジャイアンツ(だったと思う)の看板や、モンローのナイアガラの看板など、昭和の頃を思わせるようなやや古びたつくりの大看板がいくつもあった。マウントレースイスキー場や隣接する温泉ホテルなども売りのようだが、今はスキーシーズンも終わり、観光客らしき人はほとんど見なかった。しかしそれは今だけのことではなく、炭鉱業が衰退して以降ずっと続く静けさに思えた。ゴーストタウンのような町並みは、それでも三分の一くらいのお店はかろうじて営業されていただろうか。山間の線路沿いに細々と住宅や公共施設が建ち並ぶこの町の商店街は、多くがシャッターを下ろされ、黒いダイヤの名残は感じられず物寂しいものだった。そして目立って立派な建物であるマウントレースイはどう見てもバブルの名残りで、物寂しさに追い討ちをかけるようだった。でも、あの有名な夕張メロンはどこに、と思ったが、今はまだ雪の下のようだった。


その後石炭博物館に行ったものの、こちらは冬季休業中だった。北海道では四月は「冬季」に入るらしい。ここの石炭博物館では地下1000メートルに渡って降りれていくことができるらしいのだが、残念ながら今回それは体験できなかった。それでも敷地内を歩いていると、石炭がむき出しになった大露頭があり、まだまだ石炭が存在することを目の当たりにすることができた。
立坑櫓に『石炭の歴史村』とある

石炭の大露頭

アップにすると雪の向こうに石炭がこうしてはっきり見える 

その後国道274号線に乗り、樹海ロードなる道を走った。452号線に比べると若干常緑樹が多いように思えるこの道は、道路の真横に木が迫り、飲み込まれそうな不気味な様相だった。上空から見ると道路があることもわからないであろう鬱蒼としたこの樹海で遭難しても、熊と対峙しながら生き抜くことは私には不可能だろうと思ったが、樹海ロードはわりと交通量があるのでやや安心できた。

国道274号線から237号線に抜けると占冠村に出た。この時には夕方近かったためにグンと冷え込み始めていた。そしてそんな折に、ちょうど湯ノ沢温泉を見つけた。一度入ったことのある母曰く、ここの湯はとてもしょっぱいらしい。
湯ノ沢温泉

施設は古くてドライヤーやティッシュもなかったが、3百数十円の入浴料はとても安く感じた。私が入ったときは4名くらいの家族連れがいた。それほど大きくない湯船は熊の顔を設えたお湯の出口があり、そこからジャージャーと湯が流れて、樹海ロードを走った後ではなかなか北海道らしさを実感する風情だった。ただ残念ながら源泉かけ流しではなく加温しているとのことだ。それでもお湯を舐めてみると海水のようにしょっぱくて、北海道の真ん中でなぜこんなお湯が湧いているのか不思議になった。ph6,89のこのお湯はとても身体が温まり、しばらく入っているとこの日の疲れが癒えていくのがわかった。注ぎ口の熊を見ながらの入浴もなかなか楽しいものだった。福島原発の一号機に窒素を入れるとかなんとかのニュースが気がかりだったが、この瞬間だけはそれを忘れる至福の時間だった。

今回は空知地方の夕張、芦別(通り過ぎただけだが)、三笠に行ってみたが、私は芦別温泉で炭鉱遺産マップなるものを入手して読み、まだまだ空知には炭鉱があったことを知った。私が読んだのは『赤平・芦別・上砂川・歌志内篇』だったが、機会があればいろいろ行ってみたいと思う。

大地震や原発による切実な実害を受けていないこともあると思うが、それが故にとてもおおらかななかでの炭鉱町散策ができた。炭鉱跡は廃墟になってもこうして訪れることができるが、福島原発が廃墟になったらこんな風に訪れることができないエリアが相当の面積で設けられると思うと、いくつか見た立坑の物寂しい廃墟跡が随分といい思い出に思えた。

露天掘りの跡につくられたというカナディアンワールド