ページ

2011年4月26日火曜日

希望か絶望か

朝CNNを見ていると、スウェーデンが地下に核燃料棒を埋めても10万年は大丈夫という壮大な計画を立てているとの報道があった。

最長で120年くらい生きるとされる人間の一人である私にとって、10万年とはピンとこない月日である。ヒトが文字を発明してから5000年くらい経つと言われているだろうか。世界最古の木造建築物の法隆寺が築1400年くらいか。10万年後の自分となると、白骨化してそれから、、、。10万年大丈夫な設計って、机上の数字で物事を決めていく人たちの考えることはやはり私にはピンとこないものだった。

それでもすでに生み出されている放射性廃棄物はなんとかしなければならないのだから、絶対になんとかしてもらわはいといけないのではあるが。この大計画は希望の星なのか、それとも絶望の淵なのか、素人の私には悩ましいところである。

病院に行くと、大震災後ずっとガラガラだった待合室が、震災前同様の混み具合に戻っていた。さまざまな職種の職員さんたちもバタバタととても忙しそうで、それは行列のできるラーメン屋さんのような様子だった。そんな中、私の隣に座って受診の順番を待っているおばあちゃんはずっと鼻歌を歌っていた。私はその鼻歌をBGMにして、一時間半くらい座らせてもらった。子守唄のような、眠気を誘うような、そんな鼻歌だった。

大震災後何度かこの病院に通院したものの、あまりに外来患者数が減ったので、このままではこの病院はつぶれてしまうのではないかと心配したが、どうやら患者は戻ってきたようである。

そんなことを私が考えていたら、後ろの椅子に座るおばちゃん二人が同じようなことを言っていた。この二人はとてもハキハキ話し続けていて、60才を過ぎてしょっちゅう転ぶようになったと嘆いていた。気持ちは前に進んでいるのに身体は気持ちの通りに動いてないのよね、とのことらしい。そしてかろうじて今のところ骨折に至る怪我はないものの、擦り傷をつくりながら生活しているとため息をついていた。

考えることがいっぱいの高齢化人生である。

私の診察が終わって支払いを済ませた頃にはもう午後の受付が始まる12時半を過ぎていた。午前中に来た患者の診察が終えるか終えないかのうちに午後の外来患者がやってきてズラッと待合室に並ぶ光景はまさに大震災前そのものであったが、医師たちは再び休む暇なく働くのかと思うと、そんな過労状態の医師に手術してもらって大丈夫かと一抹の不安がよぎるのだった。