強風の日に窓を開けると、我が家の三毛猫はいつも通りにベランダに出て行くも、普段と違う風圧に気圧されたようでその場に立ち尽くしていた。猫は私がいつも確認する富士山の眺めなど全く気にすることがない。しかし、この風はいつもと違って手ごわいぞと判断したらしく、部屋の方へと向きを変え、それでも部屋へ戻るか躊躇しているところをすかさず私がお尻を押すと、いつもなら覗き込むベランダの下の光景に視線を注ぐこともせぬまま、そそくさと部屋の中へと戻っていった。
猫と旅行をしたいものだと毎日のように考え続けたものの、一度も実現しないまま私は30歳をとうに過ぎ、猫は14歳になった。一緒の旅行が実現しないのは、ペーパードライバーの私にそんな行動力がないのと、猫がそんなことを望んでいないと私が考えているからだ。天橋立や出雲大社に興味などないだろうと。
何にも関心がないように見えるそんな我が家の猫も、ところがどっこい私が病で数年臥せっていたときは、ものすごい救助力を発揮するのだった。
私がベッドに寝ている間は片時も離れず、トイレに起き上がると、ドスンとベッドから自分も下りてトトトトとトイレまで付いて来て、ベッドに戻ると再びドスッとベッドに飛び乗り足元で寝ていた。私は病の苦しさで、足元にいつもそうして一緒にいてくれる猫の様子を一度も見たことがなかったが、ベッドに飛び乗って羽毛布団がボスッとヘコむ音だけは毎日耳にしていた。
まだ3歳ほどだった若い猫にとって、あの生活は退屈だったと思うが、我が家の猫はそのことに対して遊んで欲しいと退屈を訴えることなくずっとそうしてくれていた。苦しむ人を見ると、痛々しくてみてられないとかかかわるのが面倒だとか、人間ならいろいろな理由で目を背ける場面だというのに、ああしてずっとそばにいて見守る猫の心理は、私にとって神秘で崇高であった。
あっという間に猫は成長し、今では私の師匠のような存在になっている。
猫とのこうしたかかわりは、寺の境内で参拝した後、俗世に戻ることに似ていると思える。だから私はエジプトの古代美術などで猫を神として祀っている像を見たりすると、うんうんととても嬉しくなる。
しかし私は坊主ではないので、境内のなかだけで生きて行けるわけではない現実があり、今日も雲に隠れて見えぬ富士山を眺めながら、またまた余震に襲われながら、そしてガイガーカウンターの数値が下がってきたことを確認しながら、猫と戯れるのだった。