野球のユニフォーム姿のおじちゃん二人が川のほとりでくっちゃべっている。試合が終わった後なのだろう、一杯飲みながらのようで、すでにろれつがうまく回らないのだが、どこまでも響く大声で、すっかり自意識をなくしているのだけれどもとても楽しそうだ。
その10メートルくらい離れたところでは、楽器の練習をしている二人組がいる。ギターとハーモニカだろうか。こちらも自意識を捨てて練習に励んでいるようだ。そしてその数メートル隣には、犬を連れた老人が座っている。
何に向かうでもないのに、みな姿勢は川に向かい、川の流れとその上に広がる大気はどうやら鏡と反対の作用を人に及ぼすらしい。しかしそれは犬には関係ないようで、犬は楽器を弾く人をずっと覗き込んでいる。
橋のたもとでは、おじさんたちが5~6人揃って集会を開いている。こちらは赤ら顔の様子ではないが、2週間くらい前に同じようにおじさんたちの集会を目撃したときよりずっと声に張りがあって元気だ。一度に2~3人が話し、どうやら言いたいことを言っているだけのようにも見えるのだが、外目からみると、何気なく集まって何なく話し、何気なく帰っていく定年退職者の平和な井戸端だろうと思う。
まだ油断できない状況だとは思うが(私個人としては)、余震や福島原発はここではもう蚊帳の外のようだ。しかし、いずれの人も異様に元気がいいのは、ここ数週間それらへの脅威のために引きこもって生活をしてきた反動なのかも知れない。
そうであるならば、鬱屈したパワーとは凄いものなのだろう。