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2011年3月1日火曜日

日本橋室町から丸の内散策

日本橋室町から丸の内まで行くには、どこをどう歩いても数限りない高層ビルを横切ることになる。それらのビルはよほど見上げない限りその足下しか視界には入らないという特徴をもっている。そして、よほど見上げたとして、ビルには顔も表情もなく、名付けられた名前、主に旧財閥系の名前だが、それらを見るまで中で何をしているのか想像もつかない静寂ぶりだ。


日本橋室町では『三井家のおひなさま』展を見た。

展示されている人形はすべて静止している。当然それらの人形の顔に描かれているのは一瞬の表情のはずだけれども、多くの人形に、特に躍動感ある子供の人形は、どんな性格か、どう暮らしているのかなど、ついつい人形の生きざまを連想させる、つくりの豊かさとでも言えるものがある。ところが、お内裏様とお雛様になると、その思考の幅が鈍くさせられるのを感じる。決まって優雅で上品な二者は、作り手によってもそれぞれ別の顔にされているのだけれども、それ以上の面白さがないのだ。

それは私が日本橋室町から丸の内まで歩いた際に感じたつまらなさととても似ていた。

大抵の飲食店が14時か14時半でランチタイムを終え、ディナータイムに備える高層ビルでは、勤め人たちがほぼ同じリズムで動いていることを前提にしているようだ。そしてそれはほぼではなく、まさしく同じ行動パターンなのだろう。それは地方の小さな町では夜の7時を過ぎると商店街がすべて閉まってしまうのと似て非なる寂しさとつまらなさを、たまにしか来ない私のような人間や、もしかすると観光客にももたらすかもしれない。

ところがそんな中に、何か強い意志が働いているのか、そんな町のリズムを破って営業するお店がある。そして丸の内で私はジョエル・ロブションのお店でその型破りの恩恵に預かり、空腹を紛らすことができ助かった。こういう不慣れな人を拾うことも十分利益に見合うと思っての営業なのだろう、店は常に満席だった。

この資本主義の中心地では、資本主義の化けの皮が剥がれた今、何かを見出すのは難しいように思う。そんな傾きかかった大都市に、午後も深まった頃ポツポツと雨が降ってきた。それはピカピカに磨かれたビルたちが軍艦島の廃墟に見えてくる雨だった。

その後行ったヴィジェ・ルブラン展では、1800年作のヴィジェ・ルブランの自画像に見入り、すっかり感動した。服の皺の描写やターバンの描き方のうまさが、他の画家の衣服等の描き方に比べて抜きんでて才能豊かだ。影と光があたっているところを見事に曲線で捉え、詳細に渡って描いている。総じて言えることだと思うが、この画家は人物の特徴を失わずに実際よりも美しく見えるように描くのがうまい人なんだとの感想をもった(モデルとなった人自身を見たことがないので比較できるわけではないが)。

その後竹橋方面に1キロ程歩いて日経本社へ向かった。18時半からグザヴィエ・サルモンという人のヴィジェ・ルブラン展を記念した講演会に出席するためだ。サルモン氏はフォンテーヌブロー宮殿美術館館長で、今回の展示の監修を務めた人でもある。

逐次通訳が入るものの、フランス語がわからないためにどうしても集中力が切れて眠くなってしまうのだが、マリー・アントワネットが肖像画をいろんな画家に描かせたけれどもどれも自分に似ていないと言って受け入れず、ようやくヴィジェ・ルブランの描く、軽やかで美しい肖像画を気に入ることができたということはわかった。やはりヴィジェ・ルブランは、人物を無理なく美化して描くことにかけては相当の能力を発揮する画家だったようだ。

アントワネットがヴィジェ・ルブランを気に入ったもうひとつの理由が、他の画家が美男でもない年寄りなのに比べ、ヴィジェ・ルブランが同い年の若い美貌の画家だったことがあったようだ。若さと美貌がこうしてメリットになるのは世の常か・・・。

展覧会は良かったが、また行きたいとは思えない日本橋、特に丸の内不毛地帯だった。