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2010年5月12日水曜日

旅その七・長崎三泊四日


長崎空港から望む景色

北海道で生まれ育ち、東京暮らしが長い私にとって、
長崎は不思議な街です。
大都会ではないけれども都会的。
今現在外国人がものすごい数暮らしているわけではないけれども
西洋的で中華的。


その昔、江戸、明治の頃にやってきた異人さんは、
世界三大美港と言われるリオ、リスボン、コンスタンチノープル以上に
長崎は美しいと表現しましたが、
私にとって長崎は、美しいと同時に不思議な都市でもあります。

その不思議さは、
そうしてやってきた異人さんたちによって作られた面も多いということが、
街を歩いてよくわかります。
そして何より長崎を特徴づけるのが、原爆の経験です。

長崎は、空港から市内まで、ずっと花壇が続きます。
一軒一軒の家でも、
必ずと言っていいほど玄関先には花が植えられてます。
そして春のこの季節には、華やかな色を街にもたらし、
西洋的な色をより濃く印象づけるのですが、
街には同時に、
決して無くなることのない原爆の跡が、黒ずんで残っています。
どんなに都市計画に成功して現代的な便利な街になっても、
市民が色とりどりの花で街を埋め尽くしても、
消えない闇が、長崎にはあります。
でも、それでも活気のあるシャキシャキした長崎人を見ると、
都市の再生力に感嘆し、人間の本来の底力を見せられる思いです。
そしてその底力は人間だけでなく、同じく被爆した動植物にも見られます。

長崎には、大都会にありがちな人間の支配的な傲慢さが感じられません。
個々の家はどちらかというと質素で、
お金や権力を誇示するような様子は街全体を通して見られません。
急な勾配にもかかわらず、山並みには小さな家が建ち並び、
人々も動物たちも、坂を嫌がることなく上り下りします。
それを当然のこととして受け入れ、生きています。

平和公園内の原爆投下中心地

平和公園も、特別広い公園ではなく、素朴に、
原爆の記憶を街に留めています。
普段、人はその前で歌を歌ったり、ボール遊びをしたりします。
常に過去の悲惨な記憶に縛られ苦しめられるだけでなく、
平和な日常を楽しんでいる姿が、本来あるべき理想の姿に見えて、
ほんのわずかですが、旅行客の私も同じ空間を楽しみ、
そして過去の記憶に思いを馳せながら、
どう生活するのが本当の意味で豊かなのかを考えさせられます。

鎖国時代は外国との窓口として、幕末の開港後は貿易の街として、
明治以降は造船の街として、
数百年のうちにいろいろな変化を経験し、
それに潰されずに生き残り活気を失わない都市長崎は、
激動を生きてきたにも関わらず、とても穏やかな街です。
それは恐らく、
多種多様に折り合いをつけながら生きてきた証だと思います。
とても賢い市民性をいつの頃からか、元々なのか、
身につけているように思います。

決して広い街ではない長崎で、
異人居留地があったり、中華街があったりと、
他の地域や国だったらもめ事だらけの環境のはずなのに、
長崎市民は、原爆を落とされながらも、花を育てることをやめず、
外国人を締め出すことをせず、
こうして今も立派に外界とのつき合いを続けているのです。
フェミニンで大人な街です。

今回私が行った中で、目に見えて男性的な所と言えば、
長崎港で最も目立っている造船所と、今回上陸ツアーで行った軍艦島です。

グラバー園から望む長崎港の造船所

長崎港に停泊する自衛艦

グラバー園から望める無骨な造船所は、
同じく無骨な男たちが働いていると思わせる、
鉄などの物体のジャングルです。
自衛艦も見られ、すっかりそこはマッチョな世界。
でも、それらはあくまで海の向こうに向かって行くものです。
だから長崎の街は、穏やかでいられるのだと思います。


軍艦島

その点軍艦島は、石炭を採掘するために人工的に拡大されただけの島で、
多様性の濃い長崎人の暮らす姿勢とは正反対に思えます。
そこではすべてが石炭と三菱のエリート中心主義で、
一般の労働者たちは、採掘場を守るための防波堤の役割を担うところに
敢えて住居を持たされていました。
資本主義の悪い面がすでに軍艦島では始まっていたのです。
石炭を運ぶベルトコンベアーができるまでは、
馬がその役割を担い、一度炭坑に入ると、
生きて出ることは無かったと言います。
馬の使われ方が労働者の使われ方であり、島の使われ方、
そして捨てられ方によく表れていると思います。
それが三菱の経営方針・・・。
気が遠くなるくらいによくある現実だということにゲンナリします。

軍艦島でガイドしてくださったおじさんはとても明るく、
悲しいはずの廃墟軍艦島を、原爆投下時のようと、
どぎついブラックユーモアで形容してましたが、
もしかすると、それが厳しい現実との向き合い方なのかもしれません。
(あのおじさんの天然キャラか。)

なのに、港から山沿いに上がる長崎には、
まったく優しい世界があるのです。
それが生きる知恵だったのかもしれませんが、その坂道には、
寛大な精神と、忍耐と、平和への願いが溢れています。
そしてそれは、あれだけの花を育てるエネルギーなのだと思えてなりません。
それ以外に、この狭い長崎市内に何があるのか私にはわかりませんでした。
そしてそれ以上のものが必要だとも思いませんでした。

他に巡った所については後日詳述予定です。