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2011年3月7日月曜日

雪の六義園

朝起きると三月上旬とは思えない寒さだったので、急いで暖房をつけ、猫と自分の為にこたつのスウィッチを入れた。カーテンを開けると雨なのかみぞれなのか、大粒のものが降っている。道路はアスファルトの凹凸のとおりに水が溜り、大分前からこの雨が降っているのがわかった。それが朝食を済ませてもう一度窓の外に目をやると、道路を挟んで向こうにある建設途中の家の広い三角屋根がすっかり数センチの雪で覆われていた。この変化に急いでベランダに出て一体を見渡すと、やはりどの家の屋根も白一色になっていた。大きな水の粒も、今ははっきりとした白い雪と私の肉眼でも認識できるようにいつの間にか変わっていた。インターネットで確認すると、この日の都内の最高気温は4度だった。

北国では当たり前の雪景色がこうして突如都内に現れると多くの人は不便を感じるだろうが、私はその日常との差異にすっかり心が躍る。そして生まれ育った北海道の雪景色と比較しては、パウダースノーでないのがどうとか、この程度積もっても雪でも雪景色でもないなどと、ついつい物足りなさを抱いてしまうが、それでも雪景色は目に美しく映る。上空をずっと向こうまで覆う雪雲のために我が家から南西の方角にある富士山はすっかり姿を消しているけれども、その欠落が気にならない穏やかな雪の世界であった。

そんな心の動きに数分を費やすと、今度はこんな日の六義園はさぞよかろうとの思いが浮かんできた。雪吊りが残り梅の咲く庭園に雪が舞い一体が白く覆われる、そんな光景を一度は見ておきたいと思い、首の裏と腰にカイロを貼って寒さ対策を済ませ、傘を握りしめて外へ出た。

外はとても寒く、脂肪を通り抜けて簡単に体の芯まで冷えを届けてくる。最近卵巣嚢腫が見つかりすっかりストレスが増えたので、体調を崩さないようにと身体を冷やさないよう気をつけていたのだが、冷えはこうして簡単に身体に侵入してくるから困ったものだ。

傘をさすと、よりしっかりとした粒の水のかたまりがパタパタと傘にあたるもすぐにポタポタとは落ちてこないことから、雨があたるときとは違う音が弾け続けることに、やはりこれは雪なのだと実感した。電車に乗ると、普段と変わらず静かな乗客たちが、いつもより身を縮こませてより大人しく見える。雪の六義園は素晴らしいと期待するが、この寒さの中でわざわざやってくる人は少ないだろうと、この乗客たちを見て予想した。

山手線の駒込駅北口を出ると家を出たとき雪だったものが雨に変わっていた。しかし本郷通りを十数分歩いて六義園に着くと、予想通りに六義園の管理所付近は閑散として客は私以外誰もおらず、中央の池にたどり着くまでに、大型カメラを携えたおじさん一人を見かけただけだった。

朝起きて窓の外の雪景色を見たときは期待がいっぱいに膨らんだ六義園の雪景色が、降るものが雪から雨に変わったとはいえまだまだ雪は芝生の上に残っていて、私の目の前には白銀の世界が広がっている。しかし朝の大きな期待とは裏腹に、それはとても殺風景に感じられる景色だった。

まだあると思っていた雪吊りが取り払われていたことが期待はずれだったのか、六義園を造った人が雪が積もったときの庭園美を意識しなかったためにこうなのか、桜や紅葉の頃の彩り鮮やかで大勢の客が来園する時にしか来たことがないためにこう感じるのか、どうもよくわからないまま池の周りを歩き始める。すると目の前に梅の咲く一角が現れた。

ところが、白い梅の花の上を雪が見事に覆っているために、それは最初梅と気づかない。ただ単に、低木の落葉樹の枝に雪が積もっているように見え、梅の季節だと意識していなければ見過ごしてしまうところだ。ピンクの濃い色を持つ梅の花も、雪の白が花びらに積もっているために淡いピンクに映り、すっかり存在感を弱めている。私がなのか庭園がなのか、どうも大粒の冷たい雨に気圧されているようだ。

その後も池の周りを歩きすすめて行くと、クマザサに当たる雨音の強さに驚くようになった。そして随分雨が強まってきたと気づいた辺りでは中高年のグループがいくつか散策をしていて、雨のために杖を持つ歩みがより慎重になっているふうだった。その光景は、老いた身体を敢えて雨と寒さの試練にさらすことでより身体を強くし、一日でも長く生きようとの意気込みそのものだった。

私はそこまでの意気込みも持たずにただただ期待だけを胸に来てしまったので、期待がまんまと外れたと思ったこの頃には身体は冷えていく一方だった。そうして冷えた身体を温めるべく、六義園を一周した後は、庭園近くにあるシャンティというインドカレーのお店でカレーを食べた。

その後地下鉄南北線で駒込から3駅目の後楽園に降り立ち、小石川後楽園へと足を運んだ、、、続く。