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2011年3月25日金曜日

鳥羽から伊勢湾フェリーで伊良湖へ

昨日伊勢神宮の参拝を終え、今日は鳥羽の海を見ようと近鉄賢島行き電車に乗った。20分くらい山の中を揺られて鳥羽駅についてみると、目の前に小さな入り江が見え、ミキモト真珠の看板が立ち、伊勢とは趣を異にする町だった。

ちょっと前に伊勢湾フェリーがなくなるという話があったのが、なんとか踏みとどまって現在も運行を続けていると聞きつけ、東京に戻る方法として、フェリーで伊良湖へ行き、豊橋から新幹線に乗ろうと考えた。

鳥羽の町は市民一丸となって(いるかどうかはちょっと立ち寄っただけの私にはわからないが)観光に力を入れている様子が見え、どっちに行こうかと駅前をウロウロ歩いていると、地元のガイドの方がどこに行くのか訪ねてきて、海を見たくてというと、あっちに行って右になどととても親切に案内してくれた。それは鞆の浦での経験ととても似ていた。観光客の数は伊勢神宮に比べ格段に少ないが、鳥羽城のあった町としての誇りを失わないような強い意識を持っているとの印象だった。

ガイドさんに案内された通りに行くと海沿いに小さな公園を見つけることができた。そこでしばし座って、東京の福島原発放射能物質にすっかり生活を乱されてテンテコマイの夫に今日一端疎開を終えて東京に戻ろうと思うと電話すると、相変わらずテンテコマイの様子だった。きっと彼は放射能物質による弊害の前にノイローゼになるだろうと思い、その慌ただしさと不安感がこちらにもすっかり感染するのだった。

それでも目の前の穏やかな緑色の海に視線を向けると、そんな東北関東の混乱が海の向こうのずっと遠いところの出来事に思えて現実味がわかず、二つの現実を行ったり来たりしているような感じだった。

ところが、右側の鳥羽城跡の小高い石垣を眺めながら700メートルほど海沿いを歩いてフェリー乗り場の待合室で座っていると、NHKが流れるテレビで放射能がどうとか乳幼児には水は飲ませるなだとか、メーカーに水の供給を要請しているだとかと、これから向かう東京の現実の厳しさがひしひしと脳のなかに滲み入ってきて、ストレスがどっと増した。
鳥羽城跡の石垣

それでもフェリーに乗り込むときに肌に吹き付けてくる冷たい潮風が一瞬にしてそんなストレスを持ち去ってくれたので、電車ではなくフェリーに乗ることを選んで良かったと思った。

船が進むときの波しぶきは二階デッキまで上がってきて顔に冷たい海水が当たった。客室の中で窓越しに見る風景とデッキに出て窓を通さないで風や海水とともに味わう眺めとでは大違いだった。白い波はアイスクリームのようだし、漁業を生業にする島らしく、遠くには小さな漁船がいくつも浮かんでいた。伊良湖に向かう途中で通過する島があると、アナウンスで〇〇島ですと案内がかかるのだが、アナウンスが始まる度に船の規模の割に少ないけれども乗っている観光客はデッキに出てカメラを構えていた。伊良湖港では漁船のみならず、釣りをしている人もたくさんいた。

伊良湖港から豊橋駅に向かうバスに乗るのは私だけだった。運転手さんは親切で、バスを待つベンチで弁当を食べている私に声をかけてくれ、ここにはゴミ箱がないからあそこの黄色い自転車のかごにいれておけば清掃の人が捨てておいてくれると教えてくれた。のんびりしたゆとりのある伊良湖の旅の始まりだった。

バスに乗って30分くらいは菜の花畑だらけで、菜の花栽培が盛んな土地であることを初めて知ることとなった。その発見は、晴天で黄色が光輝きとてもきれいだった。そして菜の花以上に面積を占めていたのがキャベツ畑で、収穫前のキャベツと収穫後のキャベツの跡がいたるところに残っていた。

海を離れ農村を過ぎると住宅が立ち並ぶ地域に入っていった。そしてここで伊良湖初となる猫を車窓から見ることになり嬉しかった。グレーと黒のアメショーのような柄の猫で、恐らく自分の家の玄関前だろうが、ちょこんと座っていた。

伊良湖は海だけあって風力発電の風車がたくさんある。これを見る度にやはり福島原発を思い出し、無力感に襲われるのだった。

乗客が私一人だったバスも、住宅街に入ると停留所に停車する度に徐々に徐々に地元の人が乗ってきた。そして偶然顔見知り同士が乗り合わせたらしく随分と話が弾んでいた。相当お年を召したおばあちゃん二人で、戦争の話から始まり昔話に花を咲かせ、ここで出会ったのも何かの縁ねで締めくくり、一人の方が途中のバス停で先に下車していった。おばあちゃんの会話が終わり、すっかり静かになったバスに乗り続けていると、またもや菜の花畑とキャベツ畑が現れて、またまたずっと続いた。関西でもそうだったが、当然伊良湖の人たちも東北関東大震災にはあまり関心はないようだし、見る限りなんの影響もなく暮らせていることがとても平和に見えた。

それが田原駅あたりからは近代的な都市の景観が始まった。立体駐車場に中層階のマンションがあり、チェーン店の看板が至る所に目立ってきた。そこから終着点の豊橋まではどんどん近代都市らしさが増す一方で、今までの菜の花とキャベツは何だったのかと思う変化だった。

豊橋から新幹線に乗ると、もう東京に着いたのと同じ気持ちになった。スーツ姿のビジネスパーソンに、放射能物質について携帯であれこれ話す人々。

夫の実家に疎開して、ついでに大阪、伊勢神宮、伊勢湾フェリーと楽しませてもらった。かわいい猫と心配性の夫の待つ家へと早く帰ろう。
鳥羽港を後にした伊勢湾フェリー
向こうに見えるのが鳥羽港

伊良湖に向かう途中の島々

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伊良湖港に入っていくところ

こうして伊良湖港から漁船が出て行く

伊良湖港

伊良湖の菜の花畑