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2011年3月31日木曜日

2リットルの水

再検査の結果を聞きに病院に向かうと、その途中の公園では春休みを楽しむ子供たちの無邪気な遊び声がいくつも聞こえた。その声は不安を知らず、心の底から遊びに熱中している響きだった。アレバのÇEOが来日してサルコジ大統領も到着して、慌ただしいところでは慌ただしいのに、この日の近所の公園は、いつもどおり平和な様子だった。

ところが公園から数百メートル歩いた橋のたもとでは、老人の男たちが寄り集まってぼそぼそと何かを話している風だった。幼い頃に世界大戦を経験してその後の豊かさを満喫したのかも知れない彼らは、計画停電やら放射能やらに頭を抱えているのか、ただ単に老いと格闘しているのか、公園の子供たちのような明るさや活気は失われ、決して楽しそうではなかった。首の上に笑顔はないだろう。

駅構内は節電のために大分照明が落とされ、ホームはトンネルのように薄暗かった。しばらく電車を待っていると、気配を消したように真っ暗な電車が現れ、それはガタンゴトンという走る音がなければ電車が来たことにも気づいだろうと思われるほどで、闇の運び人のようだった。

不気味ではあるけれども、闇の中に乗り込んだ。すると、闇の中では人々の活動が低下するらしく、みなただ呆然と目的地に着くのを待っているようだった。夜目がきかない人間の限界かと随分力なく思われた。ところが電車が発車してトンネルのようなホームを過ぎると、その沈鬱な空気を破るように太陽光が注がれ、その瞬間、心なしか人々の表情も和らいだようだった。

太陽の光だけを頼りに進む病院までの道のりの途中で、駅から地上に出て信号一つ渡れば病院に入れるというところで、次なる難関がやってきた。雨である。

しかしそれは至って小雨で普段ならさほど気にしない程度の降雨なのだが、道行く人々は、バサっとフードを被ったり、頭の上にかばんをのせたり、マフラーを頭に掛けたりと、恐らく放射性物質を含んだ雨を警戒してのことと思われるが、とても平和な光景とは言えない動作の連続だった。

私はほんの少し雨粒に当たっただけで動揺が走り、信号一つの距離を、この小雨のために、というより放射性物質への恐怖がために、持っていた折りたたみ傘を開いて数十歩歩いた。病院は目の前だった。

病院内は、駅構内の光景をそのまま再現したような薄暗がりだった。外来患者の数はめっきり少なく、再検査した3週間くらい前の半分以下と思えた。実際、前回は待ち時間が2時間だったのに対して今回は40分程度だった。照明が落とされ待ち患者の少ない待合室では、それでも自分が来たより後の人が先に診察を受けているのはどういうことかと看護師にクレームを言っている患者がいた。これには随分平和だと思えた。

再検査の結果、悪性の何かではないということがわかり、束の間の安らぎを得たけれども、帰りに水一本でも買えればいいのにと4軒のコンビニに寄るも、どこでも2リットル入の水が品切れであることに、やはり平時ではないとの印象を強めた。

帰り道、日当たりが良くて他より早く咲いた桜の花びらを触ってみると、とても水々しく感じられ、生きた心地がした。でも、この桜の木は一歳の赤ん坊が保護者から一方的に与えられる栄養を取るように、この土壌から水を吸い上げることに対して選択する余地などないのだと思うと、なにか後ろめたいような後ろ髪を引かれるような、すっきりしない気分になった。

そしてその気分を引きずったままに、アルプスの向こうに亡霊のごとく浮かぶ富士山を眺めながら家に帰った。