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2011年3月26日土曜日

ソンタグが生きていたら

スーザン・ソンタグの『良心の領界』を読んでいると、2003年3月1日の『デア・シュピーゲル』インタヴューで、「・・・私はサダム・フセインが失脚し、殺されることを強く望んでいます。・・・」と述べている箇所があり、目にとまった。ソンタグは時に矛盾しているように見えるが、それでも一貫した強さーある一定のテーマの問題が社会で起きるときちんと首を突っ込んでいくことをやめないという強さーだけはやはり貫かれている一冊だった。

心配性の夫は放射性物質による汚染の広がりと生活への影響を考えることにさすがに疲れの色が見えてきた。毎週食料を届けてくれる生協からはパンや牛乳、ヨーグルトや野菜が届かず、休日の今日近くのスーパーに買出しに行くも、やはりそこにもなく、シリアルや豆乳などを代わりに買って帰ってきた。この停滞した雰囲気は小さな地方都市で買い物しているようだけれども、私は地方都市が好きなので違和感はない。

数日前まではCNNとNHKで流す画像や情報が全く違ったが、昨日あたりから同じ内容になってきた。遅い。

スーパーで一定のものが品切れでも、現状を知ってか知らずかサッカー場では子供たちが元気に遊んでいた。公園でも同じく遊んでいた。その中に二人だけマスクをしている子がいて、あの子たちは親からマスク着用を促され、きちんと守っているようだった。

最悪の事態は免れたかと一端東京に戻ってきたが、東電エリアにいることはストレスでしかないことがわかっただだけの疎開帰りだった。そして今日も富士山は見えない。一昨日、鳥羽から伊良湖を目指したフェリーからの眺めはすっかり私の心に響かなくなったけれども、家で猫と一緒に目覚めることは、私の人生には必須だ。

北海道にいる母が酒造で湧いている水を送ってくれたという。いつも電話で罵り合っているけれども、こういう時はありがたい親の存在だった。