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2010年12月25日土曜日

高尾山登頂

晴天のこの日、高尾山登頂を目指して京王線に乗車。

高尾山口駅を下りて1号ルートを選ぶと、舗装された緩やかな上り坂の左側には直径一メートルほどの杉の木がまっすぐ聳え立つ。こんなにすくすくと長い年月ここで成長し続けている杉の木々から若干の勇気をもらい、舗装道路を終えて土の道へと入っていく。顔の高さより上に陣取る木々の根元の力強さはその後もしばらく頭から消えなかった。

599メートルの高尾山を三分の二ほど登るとグンと気温が下がり、それまでの登りで暑くなっていた身体が汗で冷やされ始める。薬王院からさらに山頂までは30分ほど歩くが、連なる階段の横の手すりは冷え切って、つかまると手までが冷えてくる。

そんなかじかんだ手を従えて山頂に着くと、ようやくお昼の弁当だ。だが手が冷えて割り箸がうまく使えない。こんなに冷えてしまったのかと驚き、自分の身体についてあまり把握出来ていないことに更に驚き・・・・・・恐怖だった。こんなときに飲む果物ジュースは糖質が尽きた身体にはシュワーっとしみこんでいってとても美味しく感じる。ぬか漬けにした大根の葉をまぶしたご飯は、塩分が身体に優しく浸透する。こういう疲れの時は本当に何を食べても美味しく感じるものだと、なまくら生活ではそうそう味わえない満足感を満喫した。

その間も手袋を外した手は山頂の冷気でどんどん冷やされ、箸を持つのが不可能なほどになり、弁当タイムを強制終了した。こんな寒い時期に山を登るのは初めてだったが、よくよく考えるとつい数週間前に旭岳の姿見駅周辺を歩いたのだった。あそこはもっと寒かった。死を意識させる寒さだった。そしてもともと登るつもりなどなかったことが、面白い思い出として蘇ってきた。でもそんな雪山をかんじきをつけて登っていく私よりずっと年を召した人々がいることが、それを実際に見たにもかかわらず、信じがたい光景となって浮かんでくるのだった。

高尾山の山頂からは富士山の頂が見える。ああ、富士山だ~、と多くの人が疲れているはずの足を軽やかにして詰め寄るのだが、見えたり見えなかったりするのが富士山のありがたみを増しているように思える優美な姿だった。

下山の途中で見つけた霜柱は冬の風物詩。触るともろく崩れるところがはかなく美しい。それは見えたり見えなかったりする富士山のように、なにか幻のような存在だった。

帰りの電車では、特急に乗り換えることなくそのまま各駅停車で眠ってしまった。その間も、私の冷たくなった手が暖かくなることはなかった。冬山の冷たさをこうして家に持ち帰り、暖かいシャワーでようやくおさらばした。

一号路

一号路の道

金刀比羅宮

展望台から

霜柱


下山して高尾山口駅に向かう途中にいた猫