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2011年11月1日火曜日

有田の方より

松浦鉄道で伊万里から有田へ揺られること20数分。稲の刈られた水田や畑のなかに瓦屋根の農家の集落が点在する光景が続くと、小高い山に囲まれるように有田の街が現れる。

昨日は人口150万人ほどの福岡を抜けて佐賀県に入ったところだったが、佐賀に入った途端に広がるほのぼのとした田園風景が随分と好ましいものに思え、伊万里の静けさも気に入った。そんな伊万里で一泊して朝の9時頃に有田へ行こうとこぢんまりとした伊万里駅で私は電車を待っていた。

すると、すぐそばのバス停で老人たちが病院にでも行くのか、ポツリポツリと現れては程なくして来るはずのバスを待ちにやって来る。そして、誰かの知り合いが通りがかると大声で挨拶を交わすのがこちらまで聞こえる。

老人を勇気付けるような朝の大声の挨拶がする道路の向こう側では、幼稚園の子供たちがおそろいの制服を着ながら先生に引率されて賑やかに歩いていた。彼らが歩いている歩道は伊万里焼の破片がモザイクのようにちりばめられ埋め込まれたもので、そんな高価なものの価値などまだわからないながらもその上を歩いて育つ子供たちが私にはとても愉快に思えた。

こんな小さな頃から伊万里の上を歩くも、伊万里の地元の人たちは伊万里焼にはあまり興味がないと、私が乗ったタクシーの運転手さんは言っていた。私がこのあたりの棚田がきれいだと言っても、私が北海道出身であることを言うと、こっちの人は北海道の広い田畑の方がすごいと思いますよとの反応だ。

確かにそんなものかもしれない。しかし、それが有田に行くとやや状況が違った。

有田では街の多くの人が焼き物で生計を立てている。駅前にある有田の100近くの窯元の商品をそろえたお店で私の接客をしてくださった方も、夫と息子が焼き物作家として身をたてていると話してくれた。その女性は焼き物の見方について熱く語ってくださり、焼き物の知識のない私には大いに役立ったのだが、同時に不況で買い手がつかなくなって困っているとの街の現状も知らされ、私は手ぶらでお店を出られない心境に追いやられた。

そして、100近くある作家の商品が並んでいる中でも、当然その女性の息子か夫の作品を買う心理にされ、私はそれほどお金に余裕がないので、息子の作品で型でとった湯飲み茶碗を一つ選んだ。まだまだすべて手づくりの器には手が出ないのがちょっと悲しいところである。

それにしても、この買い物は焼き物で食っていく人たちの術中にすっかりはめられた結果なのだろうか。そして、東京から来たなどと言うと、完全にカモにされてしまうのだろうか。

伊万里と有田は十数キロしか離れていないのだが、伊万里は大川内山一帯にしか焼き物の雰囲気は感じられなかったのに、有田は町全体が焼き物ムードなのが、日本の磁器発祥の地有田の意地なのかもしれない。

有田のとある焼き物店にいた招き猫
とても大人しく、触わられても平気

九州陶磁文化館にあるカフェにて
伊万里三昧のテーブル
高菜チャーハン

九州陶磁文化館から望む上有田方面

有田にある橋には焼き物のプレートが

こっちの橋も