大晦日の夕方におもむろに図書館に借りていた本を返しに出かけると、途中の橋の上では何人もの人が三脚を立てて一方向にカメラを向けている。それらのカメラの向こうには夕日を背負う富士山があるのだ。この日の富士山は、雪のかぶる頂にボリュームのあるもこもこの雲がのっていて、大仏の頭のようだ。そこに透明感のある夕日の赤が下から光を放っている。みなこの時を待っていたようだ。
大晦日の夕方は、いつもより空気が澄んでいるように感じる。駅前では多くの人が仕事が休みで通勤通学の混雑はないが、花屋では全商品半額などと、これからしばらくの休みに入ることを物語る様相だ。
近くのお寺では背の高い数本の竹で設えられた門松が門の両脇に置かれ、正月ムード満点だ。境内には初詣の客をつかもうと出店が所狭しと軒を並べている。お好み焼き、大阪焼き、広島焼きなどと看板はいろいろだけれども、店の前には二百、三百の卵が積まれ、紅しょうがに天カス、長ネギがてんこ盛りだ。そしてタバコを吸いながら人出を待つ店主がいたりいなかったりで、寒さの中の稼ぎ時を待っているようだ。他にもキャラクターの仮面やリンゴ飴など、時代が変わっても二十年、三十年前と出店の店頭に並ぶ商品に変わりがないことが、流行り廃りの速いこの世の中で、どうにも不思議だった。それはお寺の様相が何百年も変わらなず在り続けるのと同じく、普遍的な商売なのかもしれない。
図書館に本を返して再び橋の上を通ると、十数分前にカメラを携えて立っていた人が一人もいなくなっていた。富士山は、もこもこの雲を頂にかぶってはいるものの、もう夕日のライトアップを受けていない。名峰富士山といえども、これではやはり役不足なのだろうか。人が求めるものはこれほどまでに同じなのを目の当たりにすると、出店のあり方が変わらないのも納得出来る気がした。
明日の日の出前には、きっと今日より多くの人が富士山の初日の出を求めてこの橋の上に立っているだろう。
2010年12月30日木曜日
草津三日目+草津の猫
三日目
この日は宿で朝風呂をいただいた。一階に宿泊しているらしき子供たちが階段をバタバタ上り下りして遊ぶ音で目覚め、そのまま朝風呂へ。湯畑の朝の湯は先日の夜より熱めで、バサバサ掛け湯するのが気持ちいい。その後数分全身浴すると、夜の寒さで冷えきった身体が再び蘇る。その後朝食を済ませて大滝の湯へと向かう。9時45分くらいに入ったときは休憩所がガラガラだったけれども、その後10時半に出てくると、入浴を終えた人で席がいっぱい埋まっていた。
お風呂の方は、とても広く、露天も広々している。湯の華がものすごい量舞っているのが頼もしいお湯で、源泉が掛け流されているあたりの石には湯の華がたくさん溜まっていた。それを身体にこすりつけると温泉成分が伸びていく。いい感じだ。露天では雪がちらほら降っていてとても良い風情だった。合わせ湯に入れなかったのが残念だが、是非今度チャレンジしたい。
草津で初めての、脱衣場にドライヤーのあるお風呂だった。
また外湯巡りに来たいと思う草津の二泊三日となった。
この日は宿で朝風呂をいただいた。一階に宿泊しているらしき子供たちが階段をバタバタ上り下りして遊ぶ音で目覚め、そのまま朝風呂へ。湯畑の朝の湯は先日の夜より熱めで、バサバサ掛け湯するのが気持ちいい。その後数分全身浴すると、夜の寒さで冷えきった身体が再び蘇る。その後朝食を済ませて大滝の湯へと向かう。9時45分くらいに入ったときは休憩所がガラガラだったけれども、その後10時半に出てくると、入浴を終えた人で席がいっぱい埋まっていた。
大滝の湯
源泉は煮川の湯です
女湯入り口
お風呂の方は、とても広く、露天も広々している。湯の華がものすごい量舞っているのが頼もしいお湯で、源泉が掛け流されているあたりの石には湯の華がたくさん溜まっていた。それを身体にこすりつけると温泉成分が伸びていく。いい感じだ。露天では雪がちらほら降っていてとても良い風情だった。合わせ湯に入れなかったのが残念だが、是非今度チャレンジしたい。
草津で初めての、脱衣場にドライヤーのあるお風呂だった。
また外湯巡りに来たいと思う草津の二泊三日となった。
一之澤という食事処の猫
雪が頭に
でも毛づくろい
撫でても平気なねこちゃんでした
翌日店の前を通ると、今度は窓の向こうにいました
窓辺のマーガレット
大滝の湯から戻ると、もう一匹の猫ちゃんが
見返り美人な猫
2010年12月29日水曜日
草津二日目
二日目
西の河原ではプールほどのとても広い露天風呂にザーザーと源泉が注がれている。この日は時折強風が吹いていたが、そのたびに滝のように流れる源泉から湯煙が渦を巻いて硫黄の臭いとともにやってくる。外が寒いためについつい長湯になりがちで、湯あたりして体調を崩す人が最近多いらしいが、私が脱衣場にいるときも一人若い人が気分がすぐれないとイスに横になっていた。そういえば白旗の湯でも子供が気分が悪いと横になっていた。身体に良い温泉だが、入り方にはやはり注意が必要のようだ。
宿泊した部屋にはエアコンはなく石油ファンヒーターとこたつのみ。そして寝るときはどちらも消す。昨夜は21時に眠りについたものの、寒くて夜中に三回ほど目が覚め、それでも頑張って寝続けたのだが、朝の6寺前に目覚めたときには寒くてこれ以上寝ていられずとうとう石油ファンヒーターをつけた。朝食が8時とのことで、まだ時間があるので朝風呂に入ろうと昨日混んでいて入れなかった煮川の湯を目指す。
宿から煮川の湯までは10分ほど。ところが数分も外を歩いていると、雪の草津の早朝があまりに寒くて歩行困難となり、宿からもっと近くにある同じく昨日混んでいて入れなかった白旗の湯に行くことにした。
白旗の湯
白旗の湯は脱衣場が広く、湯船が二つあり、結構な人が入れる広さだった。二つの湯船は温度が高いものと低いものなのだが、6時半に行くとすでに一家4人のご一行が低温の方に入っていて、私は高めの方に入ることを強いられた。掛け湯したところでこの熱さに恐れおののいたが、すでに身体はキンキンに冷えていたのでとにかく暖まりたい。でもこの湯の温度からすると、このまま入るのは無理。なので何度も掛け湯して身体を湯の温度に慣らす。どうにか身体が慣れてきたところで足を湯船に入れると、酸性の湯独特のピリピリ感がきて痛い。それをぐっと我慢して全身入浴するが、数十秒でいったん外へ。熱かった。でも外にいるとすぐ寒くなってくるので低温の方へとお邪魔させてもらうことに。こちらは湯船も浅いのでゆったり入っていられる。こちらでぬくまったところでまた高温の方へ。もう身体が慣れていたので熱くは感じない。4回ほど出たり入ったりを繰り返し、この日の朝風呂を終えた。白旗の湯は白濁したお湯なのだが、足が底についた頃には見えなくなる。濁っているお湯もなかなかいいものだととても気持ちのいい朝風呂を終えた頃にはこの白旗の湯にも続々と観光客がやってきた。
宿に戻ると、その途中で共同浴場の瑠璃の湯を発見した。白旗の湯で充分暖まったので入浴しなかったが、瑠璃の湯はまだ誰もおらず、手だけつけてみると温めの湯畑の湯だった。こじんまりした共同浴場だが、込み合う気配もなくきっと快適に入れるだろうと思うお湯だ。
瑠璃の湯
三人くらい入るといっぱいの広さ
二日目は、思いのほか街が狭くて二泊三日を持て余しそうだったので白根山の麓あたりに行ってみようかと朝食を食べてからバスターミナルに行ってみた。ところが残念ながら白根山行きバスは冬季運休中だった。そこでこの日もともと行く予定だった西の河原へと向かう。湯畑をはさんでバスターミナルと反対側の草津の町並みを歩くと、お土産屋さんが並ぶ商店街に出る。ガラス工房やお箸屋さん、温泉饅頭屋さんや食事処がずらっと軒を並べるその通りは、10時過ぎになると店が開き多くのお客さんで賑わい始める。一之澤という食事処には、昨日と違う猫が店の前でお客をもてなしていた。とてもおとなしいおりこうな猫だ。西の河原に行く途中には片岡鶴太郎美術館があるのだが、このあたりになると西の河原から続く温泉の川が流れている。もう少し行くと、湧きだしたお湯がたまって露天風呂になっている箇所がいくつも見えてくる。充分入れる広さと深さだが、入浴禁止なのか恥ずかしいからなのか誰も入ってはいなかった。
片岡鶴太郎美術館の前を流れる温泉の川
西の河原公園
こうして歩いている最中もずっと雪は降り続けるのだが、ビジターセンターに入って休んでいる時も、パラパラ降り続ける雪が強い風に押されて四方八方に舞うのが窓越しに見える。それでも西の河原に向かう観光客は後を絶つことなく露天風呂に向かって歩いている。そして不思議とここでも若い世代が多かった。
西の河原ではプールほどのとても広い露天風呂にザーザーと源泉が注がれている。この日は時折強風が吹いていたが、そのたびに滝のように流れる源泉から湯煙が渦を巻いて硫黄の臭いとともにやってくる。外が寒いためについつい長湯になりがちで、湯あたりして体調を崩す人が最近多いらしいが、私が脱衣場にいるときも一人若い人が気分がすぐれないとイスに横になっていた。そういえば白旗の湯でも子供が気分が悪いと横になっていた。身体に良い温泉だが、入り方にはやはり注意が必要のようだ。
西の河原から再び湯畑の方に戻る途中に、凪の湯という共同浴場を見つけた。昔花柳界の女性たちが好んだというこのお風呂は西の河原のお湯で、商店街の並びのちょっと奥まったところにあるためか、人通りが多いわりに観光客にはスルーされがちのようだ。私が行ったときも誰も入ってなかった。
凪の湯
とても小さなお風呂
一度宿に戻って休んでから、今度は煮川の湯を目指した。昨日はたくさん靴が並んでいたため断念したけれどもこの日は誰もおらず、独り占めできた。今まで入った中では一番熱いお湯で、何杯も掛け湯して身体を慣らしてから全身浴へ。数分もすると入っていられなくなるが、入浴後はすっきり爽快で気持ちよかった。その後は観光客は入浴の時間制限があって通り過ぎるだけに終わった睦之湯を素通りして万代鉱という泉質の恵之湯へ。とても新しい建物で湯船もピカピカの恵之湯には、すでに地元の子供二人とおばあちゃんが入っていて、そこに私も仲間入りさせてもらった。なめると酸っぱくて手でつかむととろとろの、とても気持ちのいいお湯だった。雪と風が強いこの日は天井の換気口からどんどん雪が入ってきて背中にあたるのだが、それがまたいいのだ。
煮川の湯
熱いお湯がじゃんじゃん流れている
その後草津温泉の共同浴場の東の果てにあたる、またまた観光客には入浴の時間制限が設けられているこぶし之湯まで歩いてみた。あまり遠くはないが、歩道のない雪道を歩くのはなかなか大変だった。そこから湯畑に戻る途中に湯川があり、大滝の湯方面から湯煙をあげて温泉が流れてくる。温泉の川だなんて、ここでは当たり前のようだがどうしても贅沢に思えてならない。タンクに入れて持ち帰りたくなってしまう光景だった。
関の湯
白根神社
シャクナゲの葉がいっぱい
社殿
石の鳥居
睦の湯
恵の湯
真新しい内風呂
天井もピカピカ
こぶしの湯
湯川
湯気がもんもん
2010年12月28日火曜日
草津二泊三日外湯めぐり・Ⅰ
一日目
東京から高速バスで約4時間。14時前に草津バスターミナルに着くと、早速名物の湯畑に行ってみた。湯畑の横には足湯があり、ベンチいっぱいに人が座って足湯に浸かっている。冬休みに入ったためか、思いのほか観光客、特に若い人が多い草津湯畑周辺だった。
外湯巡り以外の観光を特に考えていなかった私は、湯畑からその階段が見える光泉寺にひとまず行ってみることにした。雪が凍ってツルツル滑る結構な段数の階段を上り、参拝して再び滑る階段を下りると、これで無事二泊三日の外湯巡りができるだろうとの安心感を胸にいざ最初の共同浴場へ出発。
湯畑のすぐそばには白旗の湯がある。ここは観光客の目にとまりやすいためか多くの観光客らしき人々が周囲を取り囲んでいた。これではさぞ混雑しているだろうと入るのを断念し、最初に向かったのが白旗の湯から数百メートルのところにある千代の湯だ。
脱衣場に入ると観光客らしき中年の女性二人が出ていったところで、湯船は私一人で独占することとなった。ラッキー。温めでゆっくり入っていられるお湯で、これが湯畑源泉なのかと草津の酸性のお湯にゆったり浸かる。東京よりすっかり寒い冬の草津の外気に身体が冷えきってしまったものの、7~8分入っただけですっかり身体は軽くなり楽になった。バスの疲れも吹っ飛ぶありがたい湯だった。その後さらに数百メートル歩いたところにある煮川の湯に行くと、下駄箱に靴がいっぱい並んでいたのでこちらも入るのを断念し、地蔵の湯へ向かった。
地蔵の湯は共同浴場の中では広めの湯船で、5人くらい入っても余裕がある。地元のおばあちゃん同士が来年もまたよろしくねと年越しの挨拶をしているのがほほえましく和やかに見えた。ここのお湯は千代の湯より熱く、数分入っては出ることを数回繰り返した。脱衣場が湯船の目の前に仕切りなく設けられていて最初驚いたが、不自由なく気分良く入れた。草津のほとんどのお湯が透明のお湯なのに比べ、地蔵の湯は湯船に手をおろすと手の先が見えなくなるような白濁の湯だ。地蔵の湯の前には地蔵堂があり、その前の地蔵の湯源泉の囲いからはもんもんと湯気が出ている。足湯もあってなかなか便利なところだ。
その後しばらく草津の街を散策し、スーパー大津近くの千歳の湯に行った。ここはいかにも地元の人のための共同浴場といった飾り気のないこじんまりしたお風呂で、子供たちが数を数えながらおばあちゃんと入浴していた。ここのお湯も熱めで一面に湯の華が舞っている。
湯畑からバスターミナルあたりは坂が多いのと、道がせまくて歩道がないわりに車の行き来が頻繁なのとで路面が凍結しているこの時期は歩くのに注意を要するが、硫黄のにおいに包まれた温泉街の雰囲気満点の町並みは風情があってとてもよかった。
夜6寺過ぎにライトアップされた湯畑に行ってみると、日中あれだけいた観光客はすっかり消えて、足湯はがらがらだった。誰もいないのを良いことに存分に場所をとって足湯に入ってみたが、雪の燦々と降る中ライトに湯気がのぼる光景を前にしての足湯はとても幻想的で快適だ。足を動かすたびにピリピリくる酸性のお湯は、手の指の先まで暖かい血を運んでくれる。人通りが昼間に比べてないとはいえ、時々通りがかる若い集団はおそろいの宿の浴衣姿でとても賑やかだ。こんな若い人たちがこれほどたくさんで年末の草津に来ているとは以外だが、そんな賑やかさもつかの間、彼ら彼女たちは一瞬でまた消えていった。
この日ははなみづきという民宿に泊まったが、女将がここの湯が一番よとすすめる、最近桧風呂にリニューアルしたお風呂に就寝前に入った。貸し切りでとてもリラックスして入れたのが共同浴場にはない解放間だった。お湯は湯畑から源泉をひいているのだが、温めで柔らかい。シャワーも温泉でとても良かった。
湯畑
東京から高速バスで約4時間。14時前に草津バスターミナルに着くと、早速名物の湯畑に行ってみた。湯畑の横には足湯があり、ベンチいっぱいに人が座って足湯に浸かっている。冬休みに入ったためか、思いのほか観光客、特に若い人が多い草津湯畑周辺だった。
よく滑る冬の光泉寺の階段
本堂
外湯巡り以外の観光を特に考えていなかった私は、湯畑からその階段が見える光泉寺にひとまず行ってみることにした。雪が凍ってツルツル滑る結構な段数の階段を上り、参拝して再び滑る階段を下りると、これで無事二泊三日の外湯巡りができるだろうとの安心感を胸にいざ最初の共同浴場へ出発。
湯畑のすぐそばには白旗の湯がある。ここは観光客の目にとまりやすいためか多くの観光客らしき人々が周囲を取り囲んでいた。これではさぞ混雑しているだろうと入るのを断念し、最初に向かったのが白旗の湯から数百メートルのところにある千代の湯だ。
千代の湯
手前には湧き水があって飲めます。
脱衣場に入ると観光客らしき中年の女性二人が出ていったところで、湯船は私一人で独占することとなった。ラッキー。温めでゆっくり入っていられるお湯で、これが湯畑源泉なのかと草津の酸性のお湯にゆったり浸かる。東京よりすっかり寒い冬の草津の外気に身体が冷えきってしまったものの、7~8分入っただけですっかり身体は軽くなり楽になった。バスの疲れも吹っ飛ぶありがたい湯だった。その後さらに数百メートル歩いたところにある煮川の湯に行くと、下駄箱に靴がいっぱい並んでいたのでこちらも入るのを断念し、地蔵の湯へ向かった。
地蔵の湯
地蔵堂
地蔵の湯は共同浴場の中では広めの湯船で、5人くらい入っても余裕がある。地元のおばあちゃん同士が来年もまたよろしくねと年越しの挨拶をしているのがほほえましく和やかに見えた。ここのお湯は千代の湯より熱く、数分入っては出ることを数回繰り返した。脱衣場が湯船の目の前に仕切りなく設けられていて最初驚いたが、不自由なく気分良く入れた。草津のほとんどのお湯が透明のお湯なのに比べ、地蔵の湯は湯船に手をおろすと手の先が見えなくなるような白濁の湯だ。地蔵の湯の前には地蔵堂があり、その前の地蔵の湯源泉の囲いからはもんもんと湯気が出ている。足湯もあってなかなか便利なところだ。
その後しばらく草津の街を散策し、スーパー大津近くの千歳の湯に行った。ここはいかにも地元の人のための共同浴場といった飾り気のないこじんまりしたお風呂で、子供たちが数を数えながらおばあちゃんと入浴していた。ここのお湯も熱めで一面に湯の華が舞っている。
千歳の湯
湯畑からバスターミナルあたりは坂が多いのと、道がせまくて歩道がないわりに車の行き来が頻繁なのとで路面が凍結しているこの時期は歩くのに注意を要するが、硫黄のにおいに包まれた温泉街の雰囲気満点の町並みは風情があってとてもよかった。
夜6寺過ぎにライトアップされた湯畑に行ってみると、日中あれだけいた観光客はすっかり消えて、足湯はがらがらだった。誰もいないのを良いことに存分に場所をとって足湯に入ってみたが、雪の燦々と降る中ライトに湯気がのぼる光景を前にしての足湯はとても幻想的で快適だ。足を動かすたびにピリピリくる酸性のお湯は、手の指の先まで暖かい血を運んでくれる。人通りが昼間に比べてないとはいえ、時々通りがかる若い集団はおそろいの宿の浴衣姿でとても賑やかだ。こんな若い人たちがこれほどたくさんで年末の草津に来ているとは以外だが、そんな賑やかさもつかの間、彼ら彼女たちは一瞬でまた消えていった。
湯畑の足湯
この日ははなみづきという民宿に泊まったが、女将がここの湯が一番よとすすめる、最近桧風呂にリニューアルしたお風呂に就寝前に入った。貸し切りでとてもリラックスして入れたのが共同浴場にはない解放間だった。お湯は湯畑から源泉をひいているのだが、温めで柔らかい。シャワーも温泉でとても良かった。
はなみづきの内湯
2010年12月27日月曜日
イングリッド・バーグマン
『永遠のヒロイン・その愛と素顔』でイングリッド・バーグマンを見た。女優として生きることにこだわりの強い人だとは本で読んだことがあったが、この番組で見たバーグマンはちょっと可愛かった。
最後の出演作となった『秋のソナタ』では、二人の娘を顧みない身勝手なピアニストの母親役を演じ、とうとう自分自身を演じるようになったのかと周囲に聞かれたらしいが、自分と似ているとは全く思わないバーグマン。撮影中は、監督のベルイマンとものすごい口論が続き、現場は騒然としていたらしい。当時62歳のバーグマンは60歳だったベルイマンにセリフや演出が納得行かないと食って掛かる。ベルイマン曰く、不思議なことにバーグマンが役柄を理解出来ないとひどく食い下がってくるところほど、バーグマン自身に似ているところらしい。
3歳で母を、13歳で父を亡くし、空想の世界で楽しむことを覚えた子供時代のバーグマン。自分の心に足りないなにかを埋めるべく、そのエネルギーがすべて女優業へと向かっていったのではないかと思えるような演じることへの執念は、心を打たれるものがあった。
そして仕事が休みの束の間を4人の子供たちと島で過ごしてまた仕事に戻っていくバーグマンに、やはり『秋のソナタ』の母親役が重なって見えた。最初の娘と夫を残してイタリアのロッセリーニ監督のところに渡った後、娘に、母をそれほど愛してないので気になりません、との発言をされても、母の愛はそれ以上に深いものとどこまで行っても自己肯定的なところがバーグマンらしかった。
最後の出演作となった『秋のソナタ』では、二人の娘を顧みない身勝手なピアニストの母親役を演じ、とうとう自分自身を演じるようになったのかと周囲に聞かれたらしいが、自分と似ているとは全く思わないバーグマン。撮影中は、監督のベルイマンとものすごい口論が続き、現場は騒然としていたらしい。当時62歳のバーグマンは60歳だったベルイマンにセリフや演出が納得行かないと食って掛かる。ベルイマン曰く、不思議なことにバーグマンが役柄を理解出来ないとひどく食い下がってくるところほど、バーグマン自身に似ているところらしい。
3歳で母を、13歳で父を亡くし、空想の世界で楽しむことを覚えた子供時代のバーグマン。自分の心に足りないなにかを埋めるべく、そのエネルギーがすべて女優業へと向かっていったのではないかと思えるような演じることへの執念は、心を打たれるものがあった。
そして仕事が休みの束の間を4人の子供たちと島で過ごしてまた仕事に戻っていくバーグマンに、やはり『秋のソナタ』の母親役が重なって見えた。最初の娘と夫を残してイタリアのロッセリーニ監督のところに渡った後、娘に、母をそれほど愛してないので気になりません、との発言をされても、母の愛はそれ以上に深いものとどこまで行っても自己肯定的なところがバーグマンらしかった。
2010年12月26日日曜日
2010年12月25日土曜日
高尾山登頂
晴天のこの日、高尾山登頂を目指して京王線に乗車。
高尾山口駅を下りて1号ルートを選ぶと、舗装された緩やかな上り坂の左側には直径一メートルほどの杉の木がまっすぐ聳え立つ。こんなにすくすくと長い年月ここで成長し続けている杉の木々から若干の勇気をもらい、舗装道路を終えて土の道へと入っていく。顔の高さより上に陣取る木々の根元の力強さはその後もしばらく頭から消えなかった。
599メートルの高尾山を三分の二ほど登るとグンと気温が下がり、それまでの登りで暑くなっていた身体が汗で冷やされ始める。薬王院からさらに山頂までは30分ほど歩くが、連なる階段の横の手すりは冷え切って、つかまると手までが冷えてくる。
そんなかじかんだ手を従えて山頂に着くと、ようやくお昼の弁当だ。だが手が冷えて割り箸がうまく使えない。こんなに冷えてしまったのかと驚き、自分の身体についてあまり把握出来ていないことに更に驚き・・・・・・恐怖だった。こんなときに飲む果物ジュースは糖質が尽きた身体にはシュワーっとしみこんでいってとても美味しく感じる。ぬか漬けにした大根の葉をまぶしたご飯は、塩分が身体に優しく浸透する。こういう疲れの時は本当に何を食べても美味しく感じるものだと、なまくら生活ではそうそう味わえない満足感を満喫した。
その間も手袋を外した手は山頂の冷気でどんどん冷やされ、箸を持つのが不可能なほどになり、弁当タイムを強制終了した。こんな寒い時期に山を登るのは初めてだったが、よくよく考えるとつい数週間前に旭岳の姿見駅周辺を歩いたのだった。あそこはもっと寒かった。死を意識させる寒さだった。そしてもともと登るつもりなどなかったことが、面白い思い出として蘇ってきた。でもそんな雪山をかんじきをつけて登っていく私よりずっと年を召した人々がいることが、それを実際に見たにもかかわらず、信じがたい光景となって浮かんでくるのだった。
高尾山の山頂からは富士山の頂が見える。ああ、富士山だ~、と多くの人が疲れているはずの足を軽やかにして詰め寄るのだが、見えたり見えなかったりするのが富士山のありがたみを増しているように思える優美な姿だった。
下山の途中で見つけた霜柱は冬の風物詩。触るともろく崩れるところがはかなく美しい。それは見えたり見えなかったりする富士山のように、なにか幻のような存在だった。
帰りの電車では、特急に乗り換えることなくそのまま各駅停車で眠ってしまった。その間も、私の冷たくなった手が暖かくなることはなかった。冬山の冷たさをこうして家に持ち帰り、暖かいシャワーでようやくおさらばした。
高尾山口駅を下りて1号ルートを選ぶと、舗装された緩やかな上り坂の左側には直径一メートルほどの杉の木がまっすぐ聳え立つ。こんなにすくすくと長い年月ここで成長し続けている杉の木々から若干の勇気をもらい、舗装道路を終えて土の道へと入っていく。顔の高さより上に陣取る木々の根元の力強さはその後もしばらく頭から消えなかった。
599メートルの高尾山を三分の二ほど登るとグンと気温が下がり、それまでの登りで暑くなっていた身体が汗で冷やされ始める。薬王院からさらに山頂までは30分ほど歩くが、連なる階段の横の手すりは冷え切って、つかまると手までが冷えてくる。
そんなかじかんだ手を従えて山頂に着くと、ようやくお昼の弁当だ。だが手が冷えて割り箸がうまく使えない。こんなに冷えてしまったのかと驚き、自分の身体についてあまり把握出来ていないことに更に驚き・・・・・・恐怖だった。こんなときに飲む果物ジュースは糖質が尽きた身体にはシュワーっとしみこんでいってとても美味しく感じる。ぬか漬けにした大根の葉をまぶしたご飯は、塩分が身体に優しく浸透する。こういう疲れの時は本当に何を食べても美味しく感じるものだと、なまくら生活ではそうそう味わえない満足感を満喫した。
その間も手袋を外した手は山頂の冷気でどんどん冷やされ、箸を持つのが不可能なほどになり、弁当タイムを強制終了した。こんな寒い時期に山を登るのは初めてだったが、よくよく考えるとつい数週間前に旭岳の姿見駅周辺を歩いたのだった。あそこはもっと寒かった。死を意識させる寒さだった。そしてもともと登るつもりなどなかったことが、面白い思い出として蘇ってきた。でもそんな雪山をかんじきをつけて登っていく私よりずっと年を召した人々がいることが、それを実際に見たにもかかわらず、信じがたい光景となって浮かんでくるのだった。
高尾山の山頂からは富士山の頂が見える。ああ、富士山だ~、と多くの人が疲れているはずの足を軽やかにして詰め寄るのだが、見えたり見えなかったりするのが富士山のありがたみを増しているように思える優美な姿だった。
下山の途中で見つけた霜柱は冬の風物詩。触るともろく崩れるところがはかなく美しい。それは見えたり見えなかったりする富士山のように、なにか幻のような存在だった。
帰りの電車では、特急に乗り換えることなくそのまま各駅停車で眠ってしまった。その間も、私の冷たくなった手が暖かくなることはなかった。冬山の冷たさをこうして家に持ち帰り、暖かいシャワーでようやくおさらばした。
一号路
一号路の道
金刀比羅宮
展望台から
霜柱
下山して高尾山口駅に向かう途中にいた猫
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