駅前に敷かれた楕円形の歩道に沿って中通りを下ると、ほどなくして線香の煙が鼻の奥に入ってくる。すると左に大圓寺が現れ、無数の視線にさらされる戦慄が走る。小学生の時に経験したピアノコンクールで突き刺さってきた視線より大きな圧力だ。これが五百羅漢だと知ったとき、宮島にある大聖院の五百羅漢の経験と変わらぬ壮絶な感覚を持つことに、大自然の威力に勝とも劣らない力強さを感じた。それは平原の真ん中に取り残されたような安らぎと不安感で、やはり私を無力にさせ落ち着かせる。
どういう目的できたのかわからない10人ほどの団体が騒いでいるも、変わらぬ姿で居続ける羅漢像に、騒いでいる彼らは「ちょっとばちがいじゃない?」と自ら言い合い、仲間内で浮かれながらも寺の境内には似つかわしくない自分たちを感じている風だった。それでも彼らは五百羅漢の前でシャッターを切り、みんなで写真におさまろうと位置を確認しあい、光の具合を調整している。そして大圓寺に来た証拠を十分に記録すると、楽しそうに去って行った。それに対してずっと変わらず居続ける羅漢像がなんだか不思議に思えてきた。これが仏像のありがたみなのだとしたら、当たり前なのかも知れないが。
大圓寺を出て次に出てくるのは海福寺で、水分をまとった四脚門の柔らかい朱色という名の輝きが私を迎えてくれる。境内の梵鐘は、ただの好奇心から手を伸ばして触ってみると、その厚みに驚き、この厚みの出す鐘の音とはどういうものかとほんの少しだけ突いてみると、とても静かに、小さい頃から馴染みのある低さでボーンと響いた。寝付きがよくなりそうな鐘の音だった。
海福寺を出てすぐの羅漢寺にも五百羅漢がある。この、嫌いな自意識を押さえ込んでくれる威圧感はやはりありがたい。法要の最中だった本堂を飛ばしてその先の展示室に行くと、ほどなくして法要を終えた一族の人々がそれぞれに姿を現した。誰かが胸元で抱えているであろう遺骨からは、私が経験したことのある遺骨と同じ安らかな気配があり、まだこの世で生きている一族の人々の気持ちを静めているようだった。
その後行った目黒不動の境内はそれまでのお寺より広く、不動明王像や如来像が身長の倍くらいの高さからあちこちで見下ろしている。つい先程海福寺の四脚門で捉えたのと同じような朱色の本堂は、長崎でもこんなお寺があったことを思い出させ、点と点が線でつながり、中国大陸へと私の思いを向かわせた。
以下画像
大圓寺・阿弥陀堂
五百羅漢
太鼓橋からの眺め
海福寺への道
海福寺
梵鐘
四脚門
羅漢寺
目黒不動尊