幼い頃家に東海道五十三次というテレビゲームがあって、二人の姉がピコピコとゲームに勤しんでいるのを、姉二人がそのゲームにハマっている間ずっと横にしていたことがある。テレビなどで品川宿の話が出るといつもその頃を思い出し、そこがどのようなところなのか行ってみたいとずっと思っていたのがようやく実現した。
これまでは目的地に行くための通過駅に過ぎなかった品川駅を、いったいどんなところかと北口方面に出ると、東京駅や汐留に降りたときと同じ光景が広がり、コンクリートで囲まれた無表情のガラスが無数に並ぶことを想像させる風の流れがある。広く設けられたビルとビルの隙間をその巨大な風に逆らうようにして歩くのだが、どこまで続くか先の見えない広大さだった。途中で行き違っった人はタバコの臭いの染み付いたスーツ姿で、この人の隣のデスクに配置されるのは嫌煙家には苦痛だろうと想像しながらインターシティのペデストリアンデッキを下りた。高層ビル街をようやく抜けると一般道に出る。
天王洲橋に立つと、品川浦の水の濁った臭いが鼻をついてくる。でもそれは不快なものではなく、この辺りから高層ビル街の雰囲気とうって変わって昔の漁村らしい古びた民家がお目見えし、船溜まりがあることを想像させるものだ。そしてその臭いが届かなくなった頃、高浜運河より内側に入ったところに聖蹟公園がこじんまりとしたその姿を現す。ほんの数分で一周できるほどのこの公園は、東海道の品川宿本陣跡なのだが、私が思っていたものとはまるで違う、普通の公園の雰囲気だ。大通りに面しているにもかかわらず、誰も振り返ることなく通り過ぎ、ただ地元の人らしき人がベンチでうなだれているだけだった。公園内の古井戸にちょんと置き去りにされた空き缶の冷たさが、なにか今の公園の存在を物語っているように思える印象だ。
昔テレビゲームで経験した東海道の賑わいとは全く違うことに物足りなさを抱いたまま聖蹟公園を出て歩いていると、いつの間にか北品川商店街に出ていた。この辺りの道幅は江戸の昔と変わらないらしいが、道の両側には夕方になって電灯をつけ始める商店が軒を連ねている。その奥にはお寺らしき気配がチラチラ見え隠れする。そこは私が抱いていた東海道の宿場町の雰囲気が今もあるように思える通りだった。私はそんな通りを1キロ以上歩いた気がするが、おおらかな商売っ気に魅了され、あっという間に夕方のラッシュが始まっている品川駅に着いた。
散策中に出会った品川の猫
聖蹟公園
北品川商店街沿いの記念碑