東京都現代美術館では『トランスフォーメーション』と『オランダのアート&デザイン新・言語』という展覧会が開催中だ。
16時過ぎに美術館に入ると、館内はとても静かで混雑している様子もなく、まばらに響く足音からしてフロントホールは相当広いようだ。その広いホールをしばらく歩いて3階から始まる『トランスフォーメーション』の展示会場へと進む。
はじめにツルンとしたカーテンのようなものをかき分けて暗い部屋に入っていくと、急に青っぽい光が目に飛び込んでくるのだが、大画面では無声映像が流れているようだ。他にいる数人の客たちもこの映像同様押し黙っているのだが、一人、また一人と部屋を出ていき数分後には私も出た。するとまた映像が。今度は猫が何匹も登場しているようだ。『トランスフォーメーション』展の趣旨は、『「変身-変容」をテーマに人間とそうでないものとの境界を探ること』なのだが、猫好きの自分が小さい頃からずっと猫になりたいと思っていたのを思い出してとても興味深かった。この映像の前では、この人達はみな猫好きかと思うほど、ずっとそこを動かない人が多かったと思う。
これら二つの映像を終えると明るい展示室に入り、変身ー変容の展示の数々を通り過ぎた果てで『オランダのアート&デザイン新・言語』が始まるのだが、面白いことにもぎりの際親指ほどの大きさの積み木を一つ渡される。
ここで気づくのが、他の美術館に行くと必ず聞こえてくるおばちゃんたちの賑やかな話し声が全く聞こえてこないことだ。聞こえてくるのは展示を見てだろうが「面白い」とつぶやく若い人の声であり、そうでなければ一人で押し黙って観ている若い香りだ。恐らくほぼすべてが若い人の館内からして、年をとった人にはついていけないどころか興味すら持たない現代美術のように思える。
そんな展示をいくつか通過したところに、床が触れるくらいにしゃがんで周囲をゆっくりゆっくりまわると数分ほどの、直径にして2メートルほどになるかと思われる積み木の広場を見つけることができる。もぎりの際渡された積み木はここで好きな場所に置いていいらしいので、私は適当なところにポンとのせてきた。ヨーロッパのどこかの町だったと思うが、住民がレンガを積んでできるモニュメントがあるらしく、そこからヒントを得たという作品だ。ただのミニチュアではないかと思ってしまうが、たった一つの積み木をのせるだけなのに、なぜかワクワクして面白い。参加することの喜びだったり遊び心だったりするのかも知れないが、そのワクワク感には、いわゆる大人になってからの生活で長らく眠っていたものが急に蘇ったところがあると思える意外性だった。
ちょっとした変化や記憶の連鎖で何かが蘇るのは、プルーストの『失われたときを求めて』に出てくる、幼い頃食べたのと同じマドレーヌの味を口にしたとき、ふと記憶が蘇るくらいに偶然にすぎないのかもしれないと、この時つくづく思えた。
カーテンのような布をめくるところから始まる現代美術館独特の光の刺激、音の刺激、触覚的刺激は、他の美術館ではそうそう経験したことがない。私にとってそれらの刺激はどれも忘れていた子供心を呼び戻すきっかけとなったと思う。それはもしかすると出展者の一人であるタケトモコが言う「第六感にまでインスピレーションの届くような、心の記憶に深く刻み込まれる何かを創造」したと言えるのかも知れない。
ただ、私はどちらかというと、高幡不動尊に行ったときに経験した奥殿に収蔵されている金剛界大日如来像のあの包容力のあるオーラの方が心地良かったし、子供心を取り戻すよりも必要に思えた。感性が錆びついてるか、もう歳なのかも知れない。