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2010年12月7日火曜日

隅田川~下町散策

今回の目的は浜離宮恩賜庭園から水上バスに乗り隅田川を川面から堪能して下町浅草の情緒に触れること。

浜離宮恩賜庭園を入って築地川沿いを行けば、土の踏みしめられた道が続いて水上バス乗り場があるはずだ。何度か来たことのあるこの庭園は、平日訪れると新鮮で血生臭い空気が漂い、血の臭いの苦手な私をいかにも都会を思わせる首都高速の騒音の木陰へと向かわせる。対岸には中央卸売市場があるのだ。ところが休日で晴天ともなると前日までの市場の活気が休息へと向かうように、ちょっとドブ臭い隅田川の向こうの東京湾を向くベンチからは人々が日々の疲れを癒す寝返りを打つ音や新聞を読む音、談話する声が聞こえる。いつも高層ビルの大きな陰が見下ろすこの庭園も、休日に来てみると平日以上のリラックスムードだ。

水上バスに乗る前に時間があったので、築地川沿いをちょっとそれるとある鴨場に行ってみた。もう鴨が入ってくるわけでもないのに小覗の板を叩いてみると、それは普段聞き慣れない板と木槌の響きで、これが江戸の音かと面白い。現代建築ではまず経験することのないその造りは手で触れても十分新鮮だ。そんなことをしているうちに時間が来たので隅田川の手漕ぎ舟がどのようだったかを考えながら潮の香りへと向かい、係員の丁寧な案内通りに水上バスに乗り込んだ。そしてものすごいエンジン音に驚いた。江戸の情緒より観光の現実を付きつけられた瞬間だった。

昔の手漕ぎ舟と違って恐らく100名以上を乗せるこの船は、「あれが東京タワーだ」とか、「向こうが国技館だね」というエンジン音に負けない大声と共に、ものすごい近さで迫ってくる橋の陰をものともせず、目的地の浅草まで我々を運んでくれた。

下町を代表する浅草は、10年くらい前に来たときと変わらぬ賑わいだった。仲見世の往来に並ぶ人だかりは、ここ最近で同程度の混雑を私が経験したのは上野公園の花見の出店くらいだ。そう思うと、私を浅草まで運んだ水上バスは江戸の舟とは規模や動く仕組みにおいて大きく変わったけれども、上野や浅草は歓楽のためにどこよりも人が集まるという点では浮世絵の当時と変わらないことが面白く思えた。

江戸っ子といえば「粋」だが、人力車の人夫、仲見世商店街の人々と、このあたりで商売する人はみな粋な話し方をする。以前都内の江戸前寿司屋に入ったとき、寿司職人みなが腹の底から出すシャキシャキとした威勢のいい掛け声をもち、シャリを握る微妙な力加減、ネタを切る時に響くまな板のトントンという静かな音、柚の香漂う店内でガリをギュッと絞ったときに出る生姜と酢の香りに歯切れのいい音と、狭い空間ではあったが江戸前寿司屋の手際の良い仕事ぶりと風情に江戸の粋を感じたものだが、浅草というもっともっと広い空のもとでは、元祖とも言えるその誇り高い粋が当然なのだろうが同じように感じられる。浅草は、その雑踏の中にいるだけで生きている実感が得られるくらいの活気のある街だ。

そんな雑踏と活気は浅草寺の水舎、大香炉、本堂まで続く。初詣の時期でなければ大抵のお寺では本堂に近づくにつれ、願い事や本尊に語りたいことで頭がいっぱいだからか人々は沈黙してそれぞれに手を合わせてその場を静かに去っていくが、浅草寺の本堂はそれまでの仲見世商店街の賑わいを越えて賑やかだった。そしてもうこれ以上進めないだろうと諦めた参拝客は賽銭箱の遥か遠くから賽銭を、腕のつくる風圧からして相当思いきり放り投げている。どこに賽銭箱があるかもわからないほど参拝客でごった返す本堂は、このようにお祭りのような押し合いへし合いなのだけれども、それでも遠慮してか何を話しているのか聞き取れないくらいのささやき声が方方から聞こえ、結局ワイワイガヤガヤの集合になり騒がしいのだが、それがとても楽しそうに聞こえる。そして天井に向かって「すごーい」と歓声を上げるのは、龍と天人の絵のためだろう。浅草寺は至る所見所ずくめのようだ。

私も参拝を終えて、あまり人のいない不動堂の方に出て、仲見世通りの裏道を通り、数日は身体から離れないであろう下町のテンポと賑わいを抱えて地下鉄へと乗り込んだ。


以下浅草寺の画像
宝蔵門

本堂

五重塔

本堂の天井画

雷門