江戸東京博物館の『昭和の家族』展に行ってみた。この展示は安部朱美の人形の世界とそこからつくられた谷川俊太郎の詩、『東京慕情』の記事から家族のあり方を見つめ直して「きずな」の大切さを再発見しようという趣旨のものだ。
一通り展示を見て思ったのは、先月行った鞆の浦では『昭和の家族』にあるような地縁・血縁・友達というものが、あくまで旅人目線であるが、とても自然な姿で残っているということだ。5000人ほどの小さな町では、人々が一団となって鞆の浦の歴史や自然を残そうと動いているのがわかる。そのためだと思うが、町は落ち着いていながら活気がある。
ただ、このほのぼの感を全国に求めるのはご無体だろう。
この展示の趣旨は当然若い人たちへのメッセージでもあるだろうが、きずなを大々的に掲げた会場内を見渡すと、来館客の95パーセント以上が高齢者と思われる方々だ。昭和というものにノスタルジーをもてるこの世代の来館者たちは、昔懐かしく人形や東京慕情の記事に見入っている。でもこの人たちが今日この展示を見て思ったことを伝える人が身近にいるか、いたとして会話があるかどうか、私は甚だ疑問だった。
『昭和の家族』を見終わり、珈琲好きの私はネットで見つけた両国茶房なるカフェに行こうと江戸東京博物館を清澄通り方面に出た。途中には横綱町公園が見え、慰霊堂が純日本風の威厳のある重々しい雰囲気で、その隣には復興記念館が大火災の痕跡を携えて佇んでいる。いつも隅田川沿いを歩く私は清澄通りが車の行き来が途切れてわりと横断しやすいことをこの時初めて知るのだが、清澄通りに連なる横綱町公園にもこの時初めて足を踏み入れることになった。
そこは日当たりの良い清潔感のあるとても整えられた公園で、秋のこの季節になるとイチョウの葉が紅葉の過程を終えて、掃いても掃いても追いつかないほどに地面を覆い尽くしている。そして大きめの石が足を奪うように周囲を覆う慰霊堂には、関東大震災と太平洋戦争の犠牲者が何万人も安置されている。そんな歴史を背負うこの土地は、広島の平和記念公園と同じような空気に満ちた空間だ。それは私にとってとても安らげる空間で、魂を鎮めよう鎮めようとの声が土の中から聞こえてくるような気配だ。ある種の俗っぽさから解放されたこの空間に私は親しみをもって何分でも何時間でも留まれることが嬉しくなり、広島に行った際に平和記念公園をゆっくり散歩したように、この公園も隣に続く小さな日本庭園も含めて枯山水から水音の聞こえるところまでゆっくりゆっくり散策し、ここはなんて平和なところなのだろうとの実感をかみしめた。
慰霊堂の向かって左には木々に囲まれたところに鐘があり、時を告げるわけでもないその鐘の下には猫がちょこんと座っている。そしてその傍らには猫と同じくらい動かずじっとしている人がいる。ホームレスだろう。互いに何するわけでもなくただ一緒にいる猫と人のその光景を見ると、誰もが入って行き難い両者だけのくつろいだ様子が仲の良い老夫婦に思えて微笑ましい。先ほど見てきた『昭和の家族』にはないライフスタイルだ。
この横綱町公園には他にも何人かホームレスと思われる人がいて、その荷物がある。当然家族や地縁とは離れて暮らしている人たちだ。高度経済成長を終えて恐らく50年、60年の人生を経てここに辿りついた人たち。公園のすぐそばにはNTTの高層ビルがあり、同じ公園内にはくたびれた様子でお弁当を食べる会社員がいる。彼らも概ね一人だ。世代の違う彼らが同じくたった一人で真昼の公園に佇む現在の時間軸において、『昭和の家族』がすっかり幻に思えてくる瞬間だった。
すぐ近くにある日大一中一高からは、慰霊堂の鎮魂の声に届くかは分からないが昼休みの歓声がずっと鳴り響いていた。