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2011年1月6日木曜日

神田から日本橋、皇居散策・1月

神田駅を東口から下りると、年明け早々ほんのりと弛緩した表情にスーツをまとった会社員があっちからもこっちからも押し寄せてくる。ランチタイムともなると、それまで眉間にシワを寄せていた人たちも、ほっこり気が緩むらしい。緩んだ顔の向かう先は牛丼屋だったり定食屋だったりなのだが、牛丼屋に女性客が多いことに驚く。

昼時の中央通りをしばらく歩くと今川橋交差点に出る。このあたりは地銀や都銀がひしめいていて、銀行ショーの様相だ。そして銀行街を2ブロックほども歩くと三井本館が現れ、私は7階にある三井記念美術館へと向かう。

三井本館というだけあって今でも三井〇〇という名の企業の営業所が入っているこの建物は、関東大震災の二倍の地震にも耐えられるように設計されているらしい。ここで働く三井〇〇の社員たちは、そんな大船に乗って毎日を過ごしていることにすっかり安心しきっているような天真爛漫な笑顔を見せてランチタイムの休憩を過ごしている。資本主義を背負っているとの自負心をもっているような胸を張った歩き方、ハキハキした話し方、これはもう三井カラーとしか言いようのないものだ。

そんな彼ら彼女らをよそに私は7階へとエレベーターに乗り込むのだが、そのエレベーターがまたすごい。建物のどっしりした外観に負けず劣らず豪奢な扉である。エレベーターにこんな装飾が必要だろうかとの疑問を持ちながらも乗り込むこと十数秒。7階で無事降りると、今度は立派な展示室がお目見えする。展示を見る前にこんなに建物自体に目が奪われることも珍しいが、それくらいに三井の威信をかけて本館をつくったことが伺える凝りようだ。

木目がむき出しの薄暗い館内はシャンデリアに至るまで豪華に変わりはないが、とても落ち着いた雰囲気だ。そこに今回は室町三井家の名品の数々が展示されているわけだが、三井家の人々は茶というものを非常に楽しまれたようで、名品は茶室にあるであろう品々でほぼ構成されていたと思う。

疲れはてて大雑把な日常を強いられるとどうしてもそんな茶のわびさびなど気にしていられないし、気にもならないと思うのだが、金と時間がたっぷりある三井家の人々はちょっとした茶碗の厚みの違いや柄を愛でる余裕があるらしい。そう思えるような繊細な道具がたくさんで、見ているうちに私までが、こういうものをこだわるのも面白いかもしれないと思えてきた。

すると計算されたかのようにそう思える頃展示が終わる。そして再びご立派なエレベーターで一階まで下りて、私は隣にある三越の『善光寺 大本願上人展』へと向かう。獅子が迎えてくれるのを過ぎて7階ギャラリーへ上ると、三井記念美術館でもいたように和服姿の老女たちがちらほら視界に入ってくる。ただ、不思議とこれら和服の老女を外で見ることはまずない。駐車場で控えている黒塗りの車が送迎しているものと思われる。これも日本橋ならではの光景だ。

大本願は尼僧のお寺で、歴代上人は皇族や公家から仏門に入った人たちだ。

展示されていた装束はとても豪華に見えこれで何が救えるのかと思ったが、最後のところで仏門に入る前後の映像が流れているのを見ると、どういう思いでこの道を選んだのか複雑な心境になる。家族と別れ、頭を剃って出てきた上人の姿を見ると、老人がよく「生かされているんだ」と言っていることの意味が分かる気がしてくる。

二つの展示を見終わりせっかくだからと皇居に行ってみると、東京駅を越えていくこの道のりは想像以上に遠かった。北桔門から出る予定だったのを平川門から出て、毎日新聞ビルのカフェサンマルクで小休止する。

皇居はこの日も散歩する会社員や内外国人観光客が静かに時を過している。私はここに来るたびに石垣の一つ一つの石の大きさに驚く。ピラミッドを見ても同じように驚くかも知れない。東御苑の平川門の方には梅林があるのだが、思いの外梅の花が咲き始めて、それまで冷え込む散歩だと思っていたところに春の息吹を注いでくれる。

三井記念美術館には江戸の頃からの家系図が長々とお披露目されていたがそれも最近途切れたらしい。こうして梅の花が毎年咲くことにこんなにも喜べることについこれまで気付かなかった人生が、なんだか面白く思える一日だった。

今川橋交差点にある碑

銀行がいっぱい


三井本館のエレベーター

三井本館の外観

三井本館

松のある皇居

皇居に咲く梅

梅と石垣



平川門の方

外から見る平川門