ページ

2011年6月7日火曜日

狂王とパンジー

夫は出かける時間がいつもより遅かった。そしてそれとは関係なく、私は徐々に体調を取り戻しながらもなかなか布団から出ることが出来ぬままいた。3メートルくらい離れたところに置いてある座布団にふんぞり返るように寝そべって、そんな不甲斐ない私を朝から直視する我家の猫は、一時間後に私がチラッと視線をやると、やはりまだ私を直視し続け、2時間後にも同じように目が合い、3時間後には身体のダルさも大分抜けてきたので、私はようやく猫の元へと起きていくのであった。すると間もなく猫は部屋を変えて、毛づくろいをしたり、外を眺めたりと自分の時間を過ごし始めた。

いつもより遅くはあっても家を出て仕事へ向かった夫は、私にいつものごとく置き土産を用意していた。それは私が興味を失いがちな政治や経済に関する専門誌でことごとくつまらないのだけれども、仕事柄入手しやすいこともあり、毎週のように読まされるハメになる。

今回置いてあったものは「原子力」についてメイン記事が長々と綴られていた。そこに書かれていることはすでにいろいろな情報源で何度も見聞きしたもので、なんら目新しいものではなく、目にするたびに免疫力が弱っていくように感じるほどゲンナリするものだった。

本震では机の下に隠れて怯えながらも余震では精神が乱れることがなくなった、私には気丈に見える我家の猫は、それでゲンナリする私には無関心のようで、向こうの部屋で寝に入ったようだった。

火力発電だ、火力発電、原発がないと電力を賄えないなんていうのは原発利権で食ってる奴らの脅しに過ぎないと、震災後家の中だけでだろうが声を大にして連呼する夫の言葉に、私個人は電力供給が減ってもなんの問題もないと、夫の言わんとするところは分かるが影響力のない言葉に反応することなく私は過ごしてきた。ややマクロな物の見方をする夫と、夫が置いていく経済誌を嫌々読む、社会への期待などまったく失って社会全体への興味などとうの昔に失せた私とでは、もともと意見など噛み合うわけがないのだった。

クローズアップ現代で火力発電所の再稼働のことをやっていたが、夫が言っていたのはこのことねと、原発よりはどんなものもマシと思いながら30分を過ごした。

するともう猫の晩ご飯の時間である。曇で昨日より寒かったために巻いていたトグロをほどいて猫はゴハンを食べにやって来た。その後猫は私が洗濯物を取り込む機を見計らって今日初めてベランダに出るのだが、網戸を閉じられて自分一人がベランダに取り残されると、心細そうな顔をして網戸の向こうから私のいる部屋の中を見ているのだった。部屋の中に居るときは私の見ている目の前で堂々と網戸を破ってベランダに出ていくのに、戻りたい時には網戸を破ってまで戻ってこないことが不思議である。猫のプライドというのは迎えを待つものなのかも知れない。

すっかり日が暮れた外の世界ではほんのわずかだけれどもアジサイが咲き始めた。そして近くの橋に設けられている花壇には、いつの間にか色とりどりのパンジーが風に花びらをなびかせて物想いにふけっていた。

テレビに映る狂王菅直人の顔はどんどん子供っぽくなり、パンジーの見せる表情とは正反対で、満腹になった我家の猫はまったく関心がないように眠っていた。