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2011年6月22日水曜日

葦簾の向こう

酒田鶴岡から新潟を経て4日ぶりに都内の自宅に戻ると、夫の通勤着が長袖シャツから半袖に変わっていて、東京がそんな暑さになっていたことに、夏至が近づいて日が長かった日本海側の稲作風景を思い返した。旅の最中はほとんど外を歩いて名所旧跡を訪れていたので私の顔は日焼け止めを塗っていてもそれなりに日焼けし、手の甲は服が覆っていない部分がすっかり浅黒くなっていた。

我が家の猫は私の日焼けにはまったく興味がなく、私が4泊ほど家を留守にしたことを案の定心底恨んでおり、家に戻った私を見る目がとても険しかった。そして私が留守のあいだは夫が担当していた、好酸球性肉芽腫という病気のために服用しているステロイド剤と漢方薬を飲ませる段に至っては、口に入れてもその都度吐き出すという嫌がらせを10度以上繰り返し、恨みの意志を明確に現すことをやめないのだった。

これでは飲ませられないと、私は一旦断念してまた後で飲ませることにし、荷物の片付けは明日でもいいからと考えて座椅子に座って一息ついて夫を見ると、こちらの方は相変わらず家に置いて行かれた寂しさでまたもや若干太り、それは見てすぐわかる程度のものだった。しかし悪玉コレステロール値を低下させる食生活は変えていないと言い、東電への怒りをブツクサぼやいていた。

東電のおかげで窓の外に立てかけることとなった葦簾は暑くなってきた日差しを程良く遮り、酒田鶴岡へ向かう前より存在のありがたみを十分認識できるほどの効果を発揮し始めた。平和で便利な時代を30年以上生きてきた身からすると、こんな場末感漂う首都東京は長きに渡る不況に追い討ちをかけた真っ暗感があって切ないものだが、幸か不幸か私個人はもともとあまり景気よく生きてきたわけでもないので違和感はあまりない。

なぜ白虎隊が結成されないのかと呪文のように唱える夫を横目で見やり、私も福島の人の大人しさには驚かされていたので、福島原発がもたらした現実の厳しさを考えると、今後何がしか起こってもおかしくはないとふと思った。

我が家の猫が私に向ける怒りを思うとやはり福島の人は大人しいと思いながら、猫にブラッシングを施して冬毛をブラシいっぱいにとってご機嫌がよくなったところで、もう一度猫に薬を飲ませることにチャレンジした。

すると、今度は薬をすんなり飲んだ。機嫌が直ったようだ。機嫌が直らないほどの怒りをもたれることは決してしたくないので、私はこの瞬間いつもホットする。そしてやはり旅は4泊くらいがいいとこだと猫の態度を見て実感したのだった。

知人友人に電力会社の人がいたりして世の中厄介だと思いながら、猫の傍らで、白虎隊の呪文を唱える夫を横に、葦簾の向こうを眺める東京の生活が再び始まった。