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2011年6月15日水曜日

酒田散策

酒田市では、ホテルなど市内のあちこちで9時からレンタサイクルを無料で貸し出してくれる。私は駅併設の観光案内所で9時ぴったりに自転車を借り、早速酒田散策を開始した。都内に比べて日差しは弱いというものの、自動空調の宿泊したホテルの部屋が昨晩寒かったために、ポカポカの日向の道を走るのはなにかホッとするものがあった。やはり安いホテルを選ぶと大抵空調が使いものにならないか、ドライヤーがフロントで借りないとない(それでもめげずに私はできるだけ安上がりの一人旅にチャレンジするつもりだが。でも年をとって身体が限界かも)これなら寒さに震えることなく冷え性の私でも観光を楽しめるだろうと心意気を強く自転車をこぎ始めることとなった。

酒田といえば殿様よりも偉かった本間家である。私がここ酒田に来た主な理由も本間家がどのようなものだったかを少しでも感じようとの動機だった。本間家は北海道の増毛でも支店、いや分家が商売をして北前船の頃は大繁栄したのだった。口減らしのために何男だったか忘れたけれども私の故郷北海道の地にもやって来ていた増毛の本間家を、去年だったと思うが私は母と訪ねた。そこはここ酒田と同じく少し前までは本間家の人が暮らしていたのだが、今は観光用に一般公開している。とても立派な、お金の限りを尽くしたつくりだったことを覚えている。

そんな北海道での記憶が蘇ったところで、私が酒田で最初に向かったのは駅からほど近くにある本間美術館である。美術品は都内でも色々見る機会があると思い展示室には入らなかったけれども、ちょっと覗き見た庭園の方は確かに趣向を凝らした立派なものだった。東京でいえば旧古河邸ほどの規模だろうか。私は誰もいない庭園入り口からこそっと入って別荘建築を遠めで見てパパッと庭園内を眺めただけなのではっきりしたことは言えないが、当然金持ちだったことは伺えた。これが江戸の当時日本一の大地主だったという本間家の別荘か、、、と思いながら、次なる目的地へと向かった。

日差しの温もりをありがたく感じながら次に行ったのが本間家の菩提寺である浄福寺である。250年前につくられたというここの唐門は一見の価値ありで、流れるような木彫り模様が美しかった。本堂はとても静かでどっしりと落ち着いた佇まいで、こちらも風情があり私は好きだった。そしてここで酒田初となる猫との出会いに恵まれることとなった。

ところがこの猫、私がカメラを向ける目の前で芝生にマーキングを始めるというつわものぶりを披露するのだった。もしやこの猫は本間家で飼われていた猫の末裔で、だから私ごときがカメラを向けたところで萎縮などせず堂々と縄張りを誇示するマーキングを平気でするのかとも思った。そしてそれはあながち嘘ではないのかもしれない(作り話である)。
浄福寺本堂

境内でマーキングする猫


唐門

その後浄福寺を去り、浄福寺の後ろ側に建つ泉流寺へと向かった。このお寺は名前からも察しが着くとおり、奥州平泉と関わりのあるお寺である。平泉滅亡の際、秀衡の妹徳の前、あるいは後室泉の方が酒田に落ちのび、尼となって泉流庵を建てたのが始まりとか。そのためか、とても女性的で優しい雰囲気の本堂だった。

因みに泉流寺の手前で廃屋の前にて昼寝を始める白猫を発見した。私はすかさず自転車をとめ、カメラを向けたが、猫は一息つく思いを断念して逃げの体制に入った。私は昼寝の邪魔をしてこれはすまないことをしたとすぐにその場を立ち去ることにした。すると猫は安心してか、再び眠りに入っていった。猫の習性から当たり前とはいえ、本当に私のことが邪魔なようだったのがショックである。
泉流寺

瓦礫の中に猫

近づくと逃げる

その後兄弟猫と思われる3匹の猫発見

そんな三匹を撮っている私を間近で見ている猫
私はとても驚いた

すると近くにまた猫が

呼ぶと「何?」とちら見

気を取り直して寺町界隈を自転車で走っていると、ほどなくして相馬楼を横切ることになる。ここは休館日だったので外から眺めて終わることとなったが、そんな相馬桜の塀の外に突っ立って建物を眺める私の足元を、捨てる神あれば拾う神ありで、グレーの猫が人懐っこさそうに通り過ぎるではないか。酒田は本間家の本拠地であるばかりでなく猫の宝庫でもあるようだ。この猫は触っても逃げることなく甘えん坊で、私が背中をツンツンした後停まっている車の下に入って毛づくろいを始めた。
相馬桜の前を走る猫

車のしたへ

寺町散策はまだまだ続く。次は海向寺へ行った。石段を上った先にある高台の海向寺は即身仏で有名なお寺である。湯殿山での厳しい修行を経てミイラとなった忠海上人と円明海上人の二人の即身仏が祀られているのだ。即身仏も興味深いが、私は本堂の隣にある婦人病にご利益があるという菩薩にみっちりと手をあわせて卵巣脳腫の手術がうまくいきますようにと祈ってきた。
海向寺

即身仏の安置されているところ


光丘文庫付近から見る酒田市


日枝神社

その後は市街地エリアに入って光丘文庫へ。
その後寄った光丘文庫は本間家の人がつくったのだが、現在は市立になっており、閲覧室では地元の人らしきおじいちゃんが3人いて、そのうちの一人は虫眼鏡片手に古文書を熱心に読みあさっていた。私も年を取ったら故郷か今住んでいるところの歴史や自然などについて、虫眼鏡をもちながら老眼をおして研究したいと思う。


光丘文庫の隣は日枝神社で、海側に歩くと日和山公園が山の斜面を利用して広がっている。ここからは日本海に面して建つ風力発電の風車がよく見え、原発から出る放射能よりよほどマシな低周波を出しているのだった。そのような実害はよそに、風車は風に押されてゆっくりゆっくりまわるのだった。そしてその光景はとてものんびりしたものだった。

その後昼時になったために、酒田港の方まで降りて、さかた海鮮市場に入った。ここの1階では鮮魚や野菜が売られ、2階は食事どころになっている。お店に入ったのが12時頃で、15分ほど一階の粋の良い鮮魚に見とれているうちに、先ほどまでは誰もいなかった二階への階段に、いつの間にか長蛇の列ができているのだった。客の整列を取り仕切っている店員さんにどれくらい待ちますかと聞いたところ、35分くらいですと言う。他にこの辺に食べるところはありますかと聞くと、隣にあるんですけど今日は休業日ですのでうちしかないんですと申し訳なさそうに言う。要するに今日は客を独占できる日だったのだ。港の方や市街地へ行けば、昨晩ひもじい思いをした駅前より何か食べるところがあると思って期待していたら、なんのなんの決してそんなことはないのだった。そして結局40分ほど並んでようやく王様の海鮮丼なるものを注文した。

甘エビがとにかくおいしかった。たっぷりのイクラもイケる。私が酒田で待っていたのはこの味だったことを思い出させてくれる海鮮丼だった。そして私の心はやや落ち着きを取り戻すのだった。


満腹になったところで港沿いにのびる緑地公園を自転車で走ってみることにした。向かい風の潮風が強くペダルが重く感じられたが、昼時の日光は暖かくて気持ちよかった。すると、ここでも猫発見である。白い猫が、向こうから走ってくるではないか。これは私に近づいてきたのかと喜んで自転車を止めると、なにやら猫は警戒をはじめるのだった。やはりそうだったかと残念に思いつつも、ニャンちゃん、と猫なで声で呼んでみるも、草むらの中へ隠れて無視。その後猫はどこへ行ったかと草むらを探す私を驚かせるように、猫は茂みから飛び跳ねて芝の勾配を上り、私の追いつけない速さで走り去っていた。
王様の海鮮丼

酒田港緑地の猫

草むらへ

港に猫はつきものである。そそくさと逃げては行かれたものの、酒田港でも猫と会えて良かった。

午後は庄内米の倉庫として活躍してきた山居倉庫に行った。この倉庫は現在でも農業倉庫として活躍中で、倉庫の並ぶ一角は資料館になっている。展示資料の中で、この倉庫に米俵を持ってくる女性の姿が描かれていたが、30キロも60キロもある米俵を運んでくるのは主に女性の仕事だったらしく、当時の庄内の女性は力持ちだったとか。そして米俵かつぎ大会なるものなどもあったらしく、300キロの米を背負った人もいたという。オリンピックなどがなかった時代でも、人は腕比べを怠らなかったようである。旅先で5キロほどのリュックを背負って根をあげる私には無縁の話だが、そんな潜在力があるのかと思うと勇気がわく(細胞が深い眠りについているので目覚めることはないだろうが)。30キロと60キロの米をかつぐ体験コーナーもあったが、私はぎっくり腰や方々の関節痛を恐れて挑戦はやめておいた。

米どころ庄内を満喫したところで次は旧鐙屋という廻船問屋に行った。ここの建物で特徴的なのは、石置杉皮葺屋根という石の並べられた屋根である。階級制度が厳しかったためにどんなに金持ちでも瓦屋根にはできなかったそうである。この屋根の石はただ置かれているだけだそうだが、最近の東日本大震災の震度5の地震も含めて、一度も落ちたことがないのだそうだ。なお、鐙屋のことは井原西鶴の「日本永代蔵」にしるされている。

山居倉庫

午後も深まってきたところで、ようやく最後に来たのが本間家旧本邸である。本間家本間家と思いながら何かと本間家にゆかりのあるところをまわってきて、最後に本邸にやってきた。増毛の本間家を訪ねて以降、山形の本間家本邸はどうだろうといろいろ考える日々が一年続いたものの、その感想はいかに。

ところが想像に反して、口減らし目的で増毛に放り出された本間さんの家の方がどうしても立派に見える。どうしたものかと思ったら、増毛は明治に建てられたここ100年くらいの建築で、酒田は江戸時代からの建築がそのまま残っているという古いしろものだったのだ。どおりで大地主と言われる割には質素な家だと思った。江戸時代の建築のために、入り口付近が武家屋敷造りで奥が商家つくりという士族の階級を得た商人である酒田の本間家ならではの珍しいつくりなのだった。

増毛の本間家は、そんな酒田の本家に負けねーぞーとの意地を持ったか、とにかく近代の技術の粋を集めた豪華さがあった。そして増毛ではホンマブレンドなるコーヒーを無料でお出しいただいた。しかし、ここ酒田ではそのようなサービスはない。今のところ、コーヒーサービス有りの増毛のほうが、観光としては上をいっていると私は思う。酒田の本間家も今後頑張ってほしい。

とにもかくにも、江戸時代からずっと本間家がこの一体を取り仕切っていたことがよくわかる酒田散策だった。

本間家本邸

酒田での目的がようやく終わり、ホテルへ戻ることに。すると、信号待ちをしている私の、道路を挟んだ目の前に、白猫を見つけたではないか。これは午前中に泉流寺近くで見た猫とそっくり、いや同じ猫かと思った。でもまさか、猫のテリトリーとしては本間家本邸から泉流寺はいくらなんでも広すぎると思い、信号が青になるのを待って白猫ちゃんに近づいてみた。すると、私がそばに行くそぶりを見せただけで逃げていった泉流寺近くの猫とは違い、この猫はゴロンとアスファルトに寝転んで撫でなはれというオーラを放つのだった。私はちょこっとなでて自転車や車や人にも気をつけなさいねと言い残し、やはり酒田は本間家の本拠地であるのみならず、猫の巣窟でもあると深く実感した。

それにしても、酒田の市街地を自転車で走れど走れど飲食店もそれ以外のお店も軒並みシャッターが下りていて、この町の存続は大丈夫かと心配になった。この状態は震災前の不況から始まっていたもの思われるが、ここまで閉まっているのは他では夕張くらいしか私は見たことがない。山形は今の季節さくらんぼ狩りが盛んだが、お店が開いていると思うと大抵果物屋さんである。私は市内で何軒もの果物屋さんが営業しているのを目にしたけれども、それ以外だとパチンコかカラオケかコンビニくらいしか営業しているのを見なかった。

近隣に限界集落が増えれば人口は酒田や鶴岡に流れてくると思う。その時酒田はどうなっているか、再び訪れてみたい。
横断歩道の向こうに猫

こうして近づいても逃げない

ゴロン