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2011年8月1日月曜日

旧本庁舎

近年販売部数が減少を続けて存続が危ぶまれている新聞について友人が他人事のように語っているのを先日聞いたときは私にも新聞など他人事だった。それが、電車に乗って都心に向かう車中で私がうたた寝をするかしないかさ迷っている最中に、乗客の誰かが新聞をコンパクトに畳んで読もうとするあの独特の乾いた紙の音がカサカサと響いてきたときには、ここ7~8年ほど新聞をとらなくなった私にとって、その昔懐かしい一昔前の古臭い響きが、故郷の北海道へと向かう道中としては頼もしい響きに聞こえた。

新聞紙の音に一昔前が蘇る思いを抱きながら飛行機に乗り込み飛行機が無事定時に飛び立つと、モクモクとした雨雲を見てややもした後、私は眠りに落ちたようだった。その眠りは飛行機が着陸態勢に入るとのアナウンスがあるまで続き、先先日の新聞ネタを話す友人との会食の疲れを実感させられたが、窓の外に広がる北海道らしい碁盤の目のような田畑の収穫前の美しい景色が、私のまだ僅かに残る眠気を土深くに持ち去ってくれるのだった。

目的地の札幌に着くと、私は何度となく通った通りを南下し左に見える旧本庁舎へと入っていった。一度も入ったことがないのも北海道人としてなんだからと、手前に広がる蓮池に誘われるように物見遊山で入っただけではあったが、旧庁舎内の階段を上るときのミシミシいう木のきしむ音には年季を感じたものだった。

そこで星のマークが開拓史のシンボルであることを知り、北海道にいると常に意識させられるアイヌの歴史の説明を読み、北方領土問題のパネルを眺め、普段の私の生活のなかではさほど問題にならない事柄が、パネルを使って説明を要するほどに社会的、国家的には大問題であることを知るのだけれども、私には周囲にアイヌがいないことが最も残念な現実に思われた。

そして私の耳には、先ほど飛行機に乗る前に聞こえてきた新聞紙のカサカサいう音がどこからともなく蘇ってくるのだった。