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2011年8月2日火曜日

円山原始林の方

大通り公園を、札幌市資料館を越えてさらに西に2キロほど進むと円山公園にたどり着く。その道のりでは、道路が徐々にほころびを見せ始め、都心の、特に大通り公園の美しさは失われたかに見えた。と同時に、札幌医大を過ぎた辺りからは円山原始林を残す小高い山がこちら側に忍び寄るようにひっそり聳えているのがアイヌの素朴さを思わせた。

その素朴さとは、札幌都心部の飲食店やみやげ物屋の店頭に並ぶアイヌを模した木彫りの印象そのもので、その木彫りが身に着けている服は天然の染料で彩られた、現代の若者が着る蛍光色のような派手さのないものであり、いたって草木のなかに溶け込むものだった。

それが本当にアイヌらしさといえるものかなど検証することもないまま、それがアイヌらしさなのだと私の脳は恐ろしいまでにすんなり記憶し、どこかの段階できちんと検証しなければならないと思いながらも、円山原始林の鬱蒼とした盛り上がりがそんなとってつけたアイヌの印象と重なった。

歩道までいっぱいに寄せて建てられた多くの集合住宅を一つ一つ過ぎ行き、ここまで歩道に住宅が迫るのも広い北海道としては不思議なものだと違和感を覚えるのもつかの間、円山は、住宅がぎっしり建ち並ぶのを突然遮るように目の前に迫っていた。

どこが入り口かわからないので、私はすぐそばの駐車場を抜けて円山に入ろうとした。すると、それまで続いた晴天はぱったりと木々の枝葉に遮られ、私は円山の暗闇の中へと招かれた。とは言っても、ベンチがあったり、運動場が数十メートル向こうに見えたりで、人工物の宝庫であるのも事実のようなのだが、そういった人工物より手前では、地味で控えめな雰囲気の木々たちが私を取り囲むのだった。

福島原発爆発後の東京で放射性物質への不安からすっかり緑が縁遠くなった私には、この目の前の緑すら本当に放射能に汚染されていないか疑いの目を持って対面するようになった。そして、放射性物質はここまで北上していないとを知っている限りの情報で打ち消し、ようやく喜びと安心感をもって土を踏みしめた。

東京を離れたこうした時に、東京の地が汚染されていることを東京にいる時以上に実感するのは日本に暮らす日本人として心もとないものだった。円山の原始林は、そんな私の心のうちを知ってか知らずか、風のない時間がとまったようなひと時を、ほんのつかの間私にもたらしてくれた。