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2011年8月29日月曜日

羽田から稚内空港へ

羽田空港に着いて携帯を見ると、母からの留守電が入っていた。10分前に通話が来たようで、十勝岳山頂にいるという。望岳台まではよく行っていたようで、しかし山頂まで登るには至らずいつも下山したきたのが、他の登山者たちに励まされながら、とうとう登頂を果たしたというのだからたいしたものである。それは本人が一番思っていることのようで、留守電の声もはちきれんばかりの喜びに満ちていた。そんな留守電を聞いて間もなくすると、私の搭乗する稚内行きの搭乗手続きが始まった。

機内はいくらか席が空き、飛行機が飛び立って住宅の密集した関東平野の上空を過ぎるといつもどおり田畑が見えてきた。まばらに雲の影を背負う下界は、数ヶ月前に飛行機から見下ろしたときよりも水田の緑は薄くなり、乾いた黄緑色を呈していた。それはゴルフ場の芝も同じで、しかし水田と違ってナマズが並んだようなかたちをするゴルフ場は一目でそれとわかり、上空からの景観を奇異なものにしていた。

それが東北地方に入ると、以前見下ろした時と変わらぬ濃い緑色を呈する山地がどこまでも続き、人里から離れたところの上空を飛行機が飛んでいることを知らせてくれた。それも間もなくすると真っ白な雲で下界との視界は遮られ、私は当惑するのだけれども、ずっと向こうに広がる海だか空だかの見分けのつかない自然の領域が幻想的でずっとそちらを眺めていた。


すると眼下に突如山並みが戻り、私の視線は山地の向こうに続く水田地帯へと向かった。この岩手の米どころは縦に延び、日本人の昔からの食生活を物語っていた。そしてこの景色は山より私の目に優しく映り、その優しさは人里そのものだった。

つくづく日本は緑の多い国だと実感した瞬間である。

下北半島から海に出ると、北海道まであとわずかである。苫小牧上空から飛行機は北海道に入り、水田より畑の多いところを通過した。その後東北の山地よりもより鬱蒼とした感のある濃い緑に覆われた山地を通り、すると再び山間に畑や水田が広がるところへと入った。時にその田畑のかたちはピカソの絵のように幾何学的だったりもするし、きれに長方形に整えられていたりもする。そしてここでもナマズが並んだようなところがあると思うと、やはりゴルフ場だった。



北海道はとても広い。

飛行機がさらに進むとうっすら雲のかかるずっと向こうまで山は続き、湖らしきものが見えたかと思うとその向こうの海まではっきり見渡せた。そして見渡す限り、大自然だった。このあたりでは人里らしい集落の見あたらない、本州ではみたことのない雄大さがある。こうして北海道らしい自然の中を飛びながら、飛行機は稚内へと向かった。

稚内空港が間近に迫ると風力発電の風車が大量に設置されているところがあり、それらは十字架のように動くことなく風にさらされていた。その後日本の北の果ての海を見渡しながら飛行機は旋回して空港に到着した。

飛行機が止まったとき、視線の向こうには利尻富士が悠然と聳えていた。思いの外ここで初めて見ることになった利尻富士は、それが利尻富士とわかった途端に妙に感動がこみ上げてきた。楽しみな道北旅行である。