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2011年8月8日月曜日

津軽海峡の上空から

週刊東洋経済の相続・遺言&墓特集を読んで数十年後に迎えることになる老後なるものがずしりと肩に重くのしかかり、親が死んだ場合の相続を考えただけで気が遠くなり、私はそこから逃避するように昨日の新千歳空港から羽田に向かう道中を思い返した。

飛行機が新千歳空港を飛び立とうとする時、おもむろに小さな雨粒が機体の窓を静かに叩いた。私は5個か10個程度の窓の雨粒を、なぜもっと大雨にならないのかともどかしい気持ちで見ていた。すると飛行機はそんなわずかばかりの雨をもたらした雲の中へとその後まもなく入っていった。

この日の雲の世界は何層もの薄い綿の重なりのようになっていて、飛行機が一つの層の上に行ってもその上にはまた別の層が出てくる。そして上も下も雲以外のものは何も見えなかった。私はその陸も海も見えない光景が、人里から離れた感じでとても怖かった。そしていつのまにか窓の雨粒が消えていたことが、飛行機が簡単に雲を分けて進むようにあっけなく思えて、いつになれば陸とご対面できるのか、一体今どこを飛行機は飛んでいるのかと考えた。

すると、はるか向こうの方に雲の層が途切れるような景色が僅かに見えてきた。しかしあれは空の一部なのか海の一部なのかまだ見分けがつかない。このもどかしさのなかで飛行機がさらに進むと、突如ぱったり雲は途切れて眼下にはっきりと海が広がるのが見えた。私の宇宙を飛ぶような不安はこの時消え去り、眼下に望む下北半島に救われる思いだった。

私はようやく人里を見られて安心すると共に、津軽海峡上に見えるいくつもの白い筋が気になった。そしてそれは下北半島の港からも30本、40本の筋となって見えるのだった。その筋の大群の珍しさに私は目を見はりなんだろうとよく見てみると、どうやらいくつもの船らしい。運動会の始まりのような、騎馬戦の突撃のような船たちの勢いは同じ目的をもつ人々によって力強く船全体から醸しだされ、漁船が一斉に漁に出て行くという私の日常には見られない印象的な光景をつくっていた。

私はその勢いを目の当たりにしてどこか影響されたらしく、東京に向かうのに何がしか景気づけられた気がした。このまま雲が続くなんてつまらない空の旅だと思っていた私にとって、それは初めてもらうボーナスのように心躍るものだった。その後東北をしばらく南下する頃、再び雲の層があらわれ地上は見えないものになったけれども、漁船の集団を見た興奮は着陸まで続くのだった。

そんな昨日の機上の出来事を思い出しながら目の前の相続・遺言&墓特集に再び思考を戻すと、面倒な事務手続きの山が待っていることに相変わらず気が重くなった。

そして、私に墓はないがやはり散骨がいいかなどと考えてみた。