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2011年8月7日日曜日

小樽の海

小樽二日目。

歩いてまわるところはそうそう広くはないのかとの昨日の印象を覆すべく、9時過ぎにホテルを出て小樽観光に出た。特に何を目的にというのではないが、今日もみやこ通りのアーケード商店街を歩いてみると昨日とは違う猫を見つけ、店舗の準備をしているおじさんにまとわりついてた。アーケード内の足元は打ち水を施し涼しげで、すでに30度近い暑さのなかでのわずかな涼となった。

私はこのアーケードを抜けると昨晩同様旧日銀へ行き、日銀の仕事についてのビデオを見ながら15分ほど歩いた暑さでふらついてきた身体をなんとか冷やした。

ふんふん、銀行の銀行ねと20分ほどのビデオを見終え正気を取り戻したところで再び街に出るのだけれども、目の前の運河には相変わらず観光客が大勢いるものの、それ以外に見所は見当たらない。

やはり歩いて行ける範囲ではこれくらいなのかと、昨日挫折した海のビューポイント探しを懲りずに再開することにした。

ところが、昨日より1キロ、2キロほど海岸沿いの道路を南小樽方面に歩いてみるも、やはり倉庫だらけで人気はとんとなくなり、ようやく海が足元から広がるところに出たかと思いきや、そこも倉庫の敷地の一角かかろうじて公道なのだけれども、海面にはペットボトルやお菓子の袋などのごみが所狭しと浮いていて、美しい波打ち際とはまったく異なる様子を見せていた。

私はやはり小樽は友人が言うとおりに運河一本だよとの街なんだとの実感を強くした。そして、燦燦と降り注ぐ太陽のなかを、小樽駅に引き返し、飛行機の時間には早いが札幌へひとまず向かうことにした。

札幌行きの各駅列車はゆっくりと進み始めた。そしてしばらくして、小樽築港付近であれば十分海を望めることを車窓をじっくり観察して気づくこととなった。次の朝里から数駅に渡っては、海が線路の間近まで迫っているので海水がどれだけ透明かまでよくわかった。底に沈む石の色の違いがわかるほどに透明な海水は小さな波をつくって動いていたけれども、いくつかの海水浴場を除いてその浅瀬で遊ぶ人は誰もいなかった。

私はもったいないと思ったが、この海の美しさは地元の人にとっては特別なことではないのだろう。列車の窓に遮られて肉眼で海を見られないことを私は疎ましく思った。しかし、列車はそんなことはお構いなしに引き続きゆっくりっと、海が見えなくなってからも各駅に停まって札幌へと向か続けた。

この日の札幌は、数日北海道で過ごした私にとって東京への助走のように感じられる街だった。しかし、たいてい列車の座席に余裕がある道内とは違い、町屋づくりのようにぎっしりと人で座席を埋めた挙句にぎゅうぎゅうに押し合いへし合いする都内の電車は遠い存在にしか感じられなかった。

滅多に都心に出ることがなくなったからかもしれない。