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2011年8月19日金曜日

雨の中の動物たち

目を閉じていても外の雨音は聞こえてきた。雨音よりもっとそばでは猫がご飯を食べ終えて、満足げな足取りで私の枕元へ戻ってきて、そばに横たわろうかとひとしきりうろうろ悩んだ挙句に、一部屋向こうの座布団の上で寝ることを選んでいった。私はその猫の選択にやや寂しい思いをさせられたけれども、久しぶりの雨がコンクリートの壁をようやく冷やしてくれるとの期待が上まわり、ここ数日の中ではもっとも元気よく起きあがった。


昨日の日中40度に達していたベランダの温度計は26度を指していた。ヨシズが必要ないくらいの雲り空に覆われ、建物や地面を叩きつけるように雨が降る外の世界は、それでも都会にふり降りたオアシスのようだった。そしてその涼しさに引き込まれるように、数ヶ月前に見たトラの子供の成長を見に多摩動物園に行こうとの意欲が私のなかで沸々と湧いてきたのだれども、それは北海道から帰って以来二週間ぶりのものだった。

雨の多摩動物公園は、夏休み中だというのにやはり閑散として、広々としたなかを静かに散策したい私には都合がいい。

水鳥の池は土が混じって濁っていたけれども、ガンもカモもそれを気にする様子はなかった。しかしそのそばに家をもつヤギはそろいもそろって屋根の覆う範囲を出ようとはせず、雨宿りをする様子がまるで人間のようで、見ている私はおかしくなり、自分の頭上を覆う傘をクルクルまわして雨が下に流れるのを楽しんだ。

そうして傘に積もる雨をひとしきり落とすと、目の前に佇むいつもなら素通りしていたバクの館へと、傘をたたみながら足を踏み入れた。生後一ヶ月半ほどのバクの子供がいるというのである。つぶらな瞳を持つ母バク以上のつぶらな瞳を持つ子バクは、まだまだウリボウ柄が健在で、ずっと横たわる母バクとは反対にゆっくりゆっくりとどこへともなく室内を歩き続けていた。人間の縦長の足とは違うもっと縦横の差のないチョコンとした足先をもつバクは、踵から着地して爪先から蹴り上げるという動作を繰り返し、このゆったりした生き物が自然界ではどう生きるのかと私に想像させた。

バクが熱帯の水辺で木の実を食べながら優雅に過ごすというのはいかにもさまになる。しかし、そんな悠長な想像とは裏腹に、傘を叩く雨足は強まっていく。それでも今日の雨はどこか楽しい。久しぶりに熱を発しないアスファルトを歩くのがこれほど心踊ることなのかと、坂道を歩く気力など到底わかなかった連日の猛暑を恨めしく思う気持ちがすっかり消え失せたのを実感しながら、緩やかな上り坂に呼吸を上げて、次にはトラたちの元へと向かった。

ここは普段ならカメラを構えた人でいっぱいのはずが、雨のためにガラガラで、私はそれをいいことにトラにニャーと、猫の鳴き声を真似して気を引こうとして、まったく無視された。トラたちが耳を傾けたのは、トラ舎を挟んで私とは反対側から聞こえてくる何かの機械音だった。

暑さのせいか以前より痩せたように見える3頭のトラたちは、みるみる大きくなる小トラ二頭のやんちゃぶりに負けない母トラの支配のもと、以前来た時と同様仲睦まじく暮らしていた。私はそんなトラたちに、どこか地域猫のような親しみを抱いているように感じた。

ヤギをのぞいて、当たり前のように雨を気にしない動物たちのタフさにただただ驚くばかりである。

しかし、動物公園に来る前にNHKの日本風土記で見た、野生の熊のそばで生活を営む知床の人たちのたくましさを思い出すと、ヒトでもタフに生きようと思えば生きられるのかもしれないとふと思った。

私の細胞はたとえそれが身の丈にあってないとしても、コンクリートに囲まれた都会生活より、ワイルドを求めているのかもしれない。そしてこの気まぐれぶりに自分自身が辟易としているようである。
 
ウリボウ柄の残るバクの子供

バク親子

小樽で見かけたグレーの猫

近づいても平気や

『あまとう』で注文したサンドウィッチ
絶品だった