悠然とした暑寒別岳が前方遠くに位置し、
晴天で波の静かな日本海の海岸線が右側にずっと続くなかを
留萌から増毛の旧商家丸一本間家へ向かいます。
この建物は重要文化財に指定されているのですが、
なぜこんな僻地にそんな重文があるのか・・・。
この増毛の地はその昔、にしん漁でものすごく活気があったのです。
そしてその活気の中心にあったのが本間家です。
佐渡から口減らしで渡ってきた本間家の三男が、
呉服、醸造、海運、不動産、種や苗で
明治初期より増毛町で商売をして栄えました。
そして、本当に金にモノを言わせてつくった建物がこれです。
その徹底ぶりからは、佐渡を去ってきた彼の意地が伝わってきます。
ところが本間家というのは、
佐渡や山形の方では殿様以上の存在っだったとか。
農地解放までは日本一の大地主だったのです。
もともとそういう一族の出であると知って、
やはり一代目のたたき上げではないのだと納得できました。
建物のつくりも、妙に権力を誇示するあり方、徹底してます。
建物の中は、屏風、襖、ガラス細工と、至る所お金がかかってます。
呉服店の扉は五重になっていて、その板の重なりの意味するところは、
火災から建物を守ること、そして財力を示すことです。
金庫もあり、これは開閉させてもらえました。
昔の金持ちの金庫だなあとつくづく思います。
呉服店の間は、真ん中の柱と鉄柱が創建当時の姿を残しているそうです。
着物生地もこうしてあります。
こういう車も二台ありました。
呉服店を出て次の間へと進むと、途中にトイレがありました。
トイレは、下に鉄の受け皿があります。
今見ると、なかなか斬新です。
ここは経理の部屋なのですが、光を取り込む工夫として、
このように、天井からも光を取り入れられるようになってます。
そしてここにも金庫が。
船にのせた時に沈没しても浮く工夫がなされます。
掴んだお金は逃がさない徹底ぶり、さすがに成功する商家は違います。
この金庫は赤の色使いもきれいです。
次に入ったのは客間なのですが、客間はまたまたお金がかかってます。
ガラスが、ガラスが~。
客間のガラスのこの繊細な文様は、
当時としては相当の技術とお金では(今だったとしても)。
それでも金にモノ言わせてやるのが本間さんなのです。
勝手の間と右奥が井戸です。
天井にはにしんがかかってました。
ここは家の人や客人が食事をするところで、
10年前までは本間家三代目ご当人がまだ使ってました。
ただ、とても寒かったそうです。
ここが居間です。
居間のシャンデリアは、これまた凝ってます。
あのオレンジがかった光、簡単には出せません。
風呂場の窓もこんなです。花が、花が・・・。
乃木将軍と本間家の関係についてのパネルです。
当時の電話も残ってます。
醸造蔵も当時のまま残ってます。
ここ重文に指定された旧商家丸一本間家では、
近頃本間ブレンドなるコーヒーを作られたそうで、
その第一号の客の名誉に預かることができました。
高貴、洗練された香りと味で、
かつ、升の受け皿のコーヒーは生まれて初めてです。
さすがは本間ブレンド。
砂糖を入れると上品な味と舌触りに変わります。
いろいろ楽しみ方ができる本間ブレンドでした。
こちらは醸造元です。
増毛は昭和30年ころまでは、
にしんが山のようにとれて、とても栄えていました。
北前船が乗り入れて、にしん、わかめ、昆布、
にしんのカスで相当儲けたとか。
その頃は人の出入りも多く、遊郭もあり、そのこともあって、
本間家は呉服業も儲かったそうです。
東京の旧岩崎庭園にも負けない建物だと思ったら、
岩崎家よりもずっと歴史の古い家の末裔だったのです。
本間家は明治以降財閥化しなかったために、
三井や住友のような大企業群にはならなかったそうです。
儲けたあげくにこんな立派な歴史遺産を後世に残してくれた本間さん。
ご苦労様です。