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2010年9月28日火曜日

ウフィツィ美術館展

東郷青児美術館で開催中の『ウフィツィ美術館 自画像コレクション展』に行ってきました。自画像にはあまり興味を持ったことがないのですが、1664年から現在にいたるまでの60点近いウフィツィ美術館の自画像コレクションはなかなか奥深いものがありました。

まず、なぜ自画像が存在してこのように展示されるのかとの疑問が湧きます。

古代・中世には、画家たちはどんなに頑張っても常に無名の職人でした。それがルネサンスを迎えて人文主義が高まると、人間の尊厳が声高に叫ばれ、画家たちも無名の職人から美術家へと自他共に意識を変えることを求めるようになります。自己の尊厳の主張ともいえる自画像の制作だとすると、確かに意欲的になりそうです。

ちょっと話がそれますが、ファッションの世界でも、一昔前まではモデルは無名の存在でした。それが80年代頃からナオミ・キャンベルなどスーパーモデルと呼ばれる人々が出てきて脚光をあびるようになります。彼女たちのちょっと前までは、モデルはポーズをとるだけの人で、写真(ここではファッション写真のことですが)の価値に対して被写体の能力は無視される存在でしかなく、写真の価値は写真家の腕前としてしか評価されなかったのです。因みにシンディ・クロフォードはその一昔前のジアというモデルに似ていることから(私は似ているとは思わないのですが)デビュー当時はベビー・ジアと呼ばれてました。が、このジアやキース・リチャーズと結婚したパティ・ハンセンなどがスーパーモデルの始まりとも言われてます。70年代に出てきた彼女たちは、言われるままに撮られるだけではない強烈な個性の持ち主なのでした。

自画像の話に戻りますが、私が意外に思ったのは、全三章からなる展示の第一章であるメディチ家時代のコレクションに女性の自画像が多いことです。新宿で展覧会を開くという現代を捉えて、あえて女性画家の自画像を多くもってきたのか、それとも当時の画家全体に占める女性の数がそれなりに多かったのか、要リサーチなところです。

1664年から1736年までがレオポルド枢機卿とメディチ家のコレクションなのですが、この時代は女性が外で働くことは「はしたない」とされていたために、女性画家たちのテリトリーもその「はしたない」ところから遠い所に限られていたそうです。でもよくよく考えてみると、女性が外で働くのがはしたないというのは、外の世界、つまりここでの意味だと男の世界がはしたないと捉えることもできると思います。ものは言いようで、言い方によって全く違う印象になります。私は当時の社会をよく知りませんし、何をもって「はしたない」とされていたのかも知りませんが、現在は武器を持って血を流す戦いは少なくとも日本の一般社会ではなくなり、組織においてもセクハラという定義があったりと、随分「はしたなさ」が減ってきたのではないでしょうか。そして当時よりさらに広く尊厳を主張できるようになったのではないかと思います。逆に今となっては船や電車などに女性専用の部屋や車両があることが逆差別だと言われたり、米系企業などは女性専用というのが黒人専用バスのように聞こえるらしく批判されたりと、問題の質がいろいろ変わってきました。

パンフレットの『マリー・アントワネットの肖像を描くヴィジェ=ル・ブラン』

第二章はトスカナ大公国がメディチ家からハプスブルク家へと変わってからの時代です。

この章に『マリー・アントワネットの肖像を描くヴィジェ=ル・ブラン』という作品がありましたが、ヴィジェ=ル・ブランは当時35歳だったそうです。でも自画像はものすごく若く初々しく見えます。自画像は、画家によってはナルシズムの発露でもあり、ものすごく格好良く描いたり、若く描いたりすることが少なくないことが、どんどん展示を見進めていくとわかります(ヴィジェ=ル・ブランがそうかはわかりませんが)。マリー・アントワネットが生きていた頃はアントワネットに気に入られてアントワネットを描いていたようですが、アントワネットの処刑後は各地の王宮に歓待されて他の人物の肖像画を描き続けたそうです。芸が身を助けるとはこのことですね。ヴィジェ=ル・ブランがこの自画像のように美しかったのなら、きっとその美しさも良い方に影響したと思いますが。

最も個性豊かだったのは、第三章にあった草間彌生の自画像でした。ドットの使い方は彼女ならではの感覚なのだと思いますが、とても強烈です。小さい頃から幻覚を見たという草間彌生だそうですが、良かったです。

美術館のある損保ジャパン本社ビル42階からの眺めです。
真ん中の緑は新宿御苑。