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2010年11月11日木曜日

隅田川

午前11時くらいに両国の江戸東京博物館に着くと、一階駐車場には観光バスが数台待機し、特別展である『隅田川』の会場は多くのお客さんでひしめいてました。

江戸の人々と隅田川について、そのかかわりに思いを寄せながら絵を見ていけるようになっている『隅田川』展。年輩の方々は感慨深げに、そして時に身近に感じながら、ここ見たことあるわねなどと確認し合ったり、夢中のあまりピカピカに磨かれた作品保護ガラスに頭をぶつけたりしながら、そして細かい筆遣いに関心しながら、絵のなかの江戸の四季を追体験するように楽しんでおられました。

それらの絵をいろいろ見進めていくと、当時の人々の過ごし方、楽しみ方がだんだんとわかってくるのですが、近景には両国橋や日本橋、浅草寺、寛永寺、船遊び、花火などが描かれているものが多く、今ほど娯楽の種類の豊富でない当時は、お花見、月見、紅葉、雪見で四季折々を楽しんでいたようです。

遠景にある山は必ずと言っていいほど富士山か筑波山で、遮るものなくいかに遠くまで見渡せていたか、そしてそれらの山をどれだけ人々が意識していたかが、あれだけ毎度毎度描かれているとよくわかります。

絵を通してひとしきり江戸の情緒に触れ両国からの帰りの総武線から隅田川を見渡すと、そんな江戸とはほど遠い近代的な橋がたて続けに架けられて、関東大震災と近代化を経験した日本の橋が洋風に、あるいは近代的になったことを目の当たりにすることができます。それはノスタルジックな視点に立てば無味乾燥に感じられがちですが、周囲のビルを見れば似つかわしい橋の姿でもあります。

遊覧船が観光客をいっぱいに乗せ波を荒立て走るのは、江戸の頃の数人乗せる船とは規模において大きく違い、おそらく今の観光船に乗る人のほとんどが非日常のこととして乗船を楽しんでいるのに対し、江戸の人々は生活の場としての川を日常的に楽しんでいたのです。それでも川沿いのビルの窓から洗濯物や布団を干している光景を見ると、今も変わらず生活の一部として楽しんでいる人々がこうして暮らしていることを確認でき、数百年変わらぬ姿があることが何だか嬉しくなります。

総武線の通る橋
よく見えませんがその向こうが両国橋です。
観光船が水しぶきを立てて走ってます。

蔵前橋

江戸東京博物館の隣は両国国技館で、大相撲が休みの今頃は力士と出くわすこともそうそうありませんが、場所が始まると、車から降りて颯爽と国技館に入る力士をしばしば見かけます。江戸の絵にも両国橋を勇ましく歩く力士の姿が描かれていて、そのパワーの象徴のような力士たちは庶民の憧れであり娯楽であり、遠くて近い存在だったことが伺えます。そして相撲の世界にも時代の変遷があることが、外国人力士の存在からわかります。

両国国技館隣の旧安田庭園
数回来たことがあるのですが、鳥が多い印象です。
広い庭園ではありませんが、日向にベンチがあってくつろげます。

旧安田庭園から望むスカイツリー

現在は両国橋から国技館に至る間に総武線の橋が渡って、ちょっと淀んだような茶色がかった緑をした隅田川には空き缶が浮かび、そのすぐそばでは首の長い鳥が曲芸のように突如水面上にその長い首を伸ばしたかと思うと急に水中に潜ったりするさまが見られ、市民はというと、隅田川沿いのきれいに整えられた散歩道をTシャツ姿でウォーキングしたりジョギングしたりしています。

浅草寺や寛永寺、隅田川の花火大会が今にいたるまで残り続ける一方で、スカイツリーなどが新たに建ち、すっかり景観が変わっていく要素を孕みながらも、時代を行きつ戻りつできる隅田川でした。

両国国技館
このあたりを力士が着物に髷姿で歩いてます。
駅の方にはちゃんこ屋さんが並んでます。