次の安中榛名駅の手前で急に山の中に入り、内陸へ内陸へと向かっていることを実感することとなる。そして長いトンネルを抜けるとスキー場やゴルフ場のある軽井沢に着く。そうかと思うと、山間に水田のある美しい景色をつくる佐久平駅に。次はさらに水田の多い上田でとまり、再び長いトンネルを抜けてようやく終点の長野に着く。
長野駅に着くと、早速善光寺へ向かった。
善光寺駅口に降りて善光寺表参道である中央通りを北上すること1、5キロあまり。ゆるやかな上り坂沿いにはお土産物屋さんやカフェや食事処が軒を連ね、修学旅行生がいくつもの集団をつくって賑やかに歩いていた。
境内に入り、それまで遠くに見えていた仁王門が間近に迫った頃には、辺りは厳かな雰囲気が漂うようになる。それでも修学旅行生たちは騒がしいのだけれども、年配の方々が増え、境内をゆっくり歩いて散り際のサツキを愛でているのだった。
巨大な仁王門の左右をかためる風神雷神の筋骨隆々ぶりを頼もしく思いながら門をくぐると、今度は山門が現れる。高さ20メートルあるこの門内を、今はちょうど見学できるということで、拝観料500円を払ってこの堂々たる桜門に入ってみた。
すると急な階段を上ることとなり、上った先には文殊菩薩騎獅像が安置されていた。この知恵の菩薩に手を合わせた後、三門から境内を眺めてみるのだけれども、長野市街地方面と向こうの山まで見渡せる、素晴らしい景色だった。そして山門の急な階段を注意深く下り、今度は本堂へと向かった。
本堂では、まず外陣で目に付く撫で仏であるびんずる尊者をなでなでしてその神通力にかけ、その後再び拝観料500円を払って内陣へと向かった。
内陣のあのなんともいえない幽玄な雰囲気はなんなのだろうかと上下左右キョロキョロするも、やはり一面幽玄で、随分いいムードなのだった。そのムードのなかでお焼香を終えると、今度は恐るべき戒壇めぐりが待っていた。
お戒壇めぐりは本尊が安置されている下の真っ暗な回廊を通って極楽の錠前なるものを探り当てて本尊と結縁する道場だそうだが、それどころの話ではない。本当に真っ暗で何も見えないなかを、一体何分歩いたのだろうか。たいした距離ではないと思うが、なにせ右も左も前も後ろも見えないので、幽霊屋敷どころの怖さではない。そんな回廊を、右手でなんとか木の壁を伝いながら、怖くてどんどん腰が引けて姿勢が低くなりながら、いつの間にかカバンを身体の前に突き出して前面になにかないか確認しながら、恐る恐る進むのだった。そしてようやく出口の薄明かりが見えたときには極楽の錠前のことなど頭からすっ飛び、安堵感におそわれるのである。
善光寺参りの醍醐味はお朝事などとパンフレットには書かれているが、戒壇めぐりで腰が抜けた私に明日の早朝お朝事に訪れるのは不可能だろうと思われるのだった。
ところで、牛に引かれて善光寺というが、私は何に引かれてこの善光寺にやって来たのかとふと考えた。
私には学生時代に一緒だった長野出身の友人がいる。その友人は現在山形で暮らしていて、東日本大震災の際は一度はライフラインが寸断されるという経験をした。私は大地震の前に、その友人を訪ねようと東北新幹線に乗るべくJR東日本の株主優待券を金券ショップで買っておいたのだが、その数日後震災に見舞われ、その計画が流れることとなった。東北新幹線は不通となりJR東日本の株主優待券はもう金券ショップも買い取ってくれず、山形を訪れることができぬまま有効期限が迫る日々が続いた。私は結局彼女が住む山形ではなく、彼女の故郷の長野を訪れているのだった。その友人が仕事で長野勤務だった頃、一緒に夜な夜な善光寺を訪れたことを思い出す。
いずれ山形も訪れようと思う。
高崎の手前あたり
安中榛名
軽井沢付近
水田の多い上田
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善光寺仁王門
牛に引かれて善光寺
山門
山門からの景色
サツキの咲く善光寺境内
本堂