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2011年5月5日木曜日

偉大な労働

関西方面の農家では、早稲晩稲など品種によってばらつきがあるものの、ゴールデンウィークは田んぼを耕す時期である。私が滞在させていただいた農家でも、ゴールデンウィークのある日、耕作機械を駆使して田んぼを耕すことが決まり、ほんの少しだが私はそれを見学させてもらうことにした。

耕作機械は狭いあぜ道を通り、自らの田んぼ目指して突き進む。

田んぼに入ると、もれなく耕すことが重要なのだろう、端の端から隅の隅まで、高価な機械が壊れないようにと細心の注意を払いながら、農家の人々は田んぼを耕すのだった。

そしてくまなく耕し続ける傍らには、恐らく長年の農作業のために腰が90度に曲がったおばあちゃんが鍬らしきものを手に持ち、水漏れしないようにと田んぼの脇の土を叩いて固めていた。その鍬は時に杖となり、おばあちゃんはそれを支えに90度曲がった腰を若干伸ばして歩きながら自分の田んぼを見回り、ある時には曲がった腰をさらに170度くらいまで下に曲げて草抜きをするのだった。その姿に私は、87年農業一筋で生きてきたおばあちゃんの、農業という仕事への思い入れの強さと、その作業が骨の髄までしみついて87才になっても農業のことを日々考え、農作業を苦にせず当然のこととしてやり続ける本人無自覚で無意識のキャリアウーマンの原型を見た気がした。

これから耕すところ

二時間くらい労働していったん休憩中


汗水たらしてこうして農作業している姿を実際に間近で見ると、今後東京で食べるお米の味もまた違ったものに感じられてくると思えた。

この地味で地道な労働への畏怖の念は、私が学生生活を始めるにあたって東京で一人暮らしを始めた際に、買い物から掃除から洗濯、料理、公共料金の支払いまですべて一人でやらなければいけなくなり、主婦業とはこんなに大変なものなのかと、三人の娘を育てた母の偉大さを初めて実感したのに近いものがある。

お米はただ生えてくるのではなく、代々蓄積された農家の経験と知恵とが生んでくれたことがわかって、本当に良い経験をさせてもらった。それでもこの辺りの農業では採算がとれず食っていけなくて、跡取りは軒並みいない農家がほとんどであることが、寂しい京都近郊の農業地域であることが現実である。


10年20年後には消えているかもしれない農家のこうした光景をほんのわずかだけれども垣間見られて、人生が豊かになったと思う。いわゆる日の目を見ない労働ほど私の目には神々しく偉大に映るようだ。そしてそれは常に生きる基本的な部分、根幹となる部分なのだった。

それでも私は数日後には右から左にお金が流れる東京の完全資本主義社会に戻って行くのだけれども、自分のルーツ、人間のルーツを教えてくれた農家に、言葉では言い表せないほど感謝をしている。
一通り耕した後の田んぼ
この後もう一度同じ作業をやるとおばあちゃんが言っていた
翌日の水田
水が風になびいている