目覚めると、窓の向こうに曇った白色の空がいっぱいに広がっていた。昨日の晩に、朝起きたらカーテンを開けておいてと夫に頼んでおいたので、私が特に起き上がってカーテンを開けなくても空模様がこうして見え、四方八方この空色であろうと私は見当をつけて、これなら小雨が降っていてもおかしくないと思いながら、でも雨音はしないので曇っているだけかと、ただ空模様への好奇心から身体を布団から起こし窓辺へ数歩歩くのだった。
窓を開けると、さすがに京都の朝は東京に比べて数度低いことに、すぐそばにかけてあった上着を思わず羽織り、これだけ寒暖差がある方がおいしい作物をつくれるのだろうと、目の前に広がる田畑を眺めた。
東海道新幹線の車窓でも、トラクターで耕作中の人の姿を何度も見かけたが、ここ京都郊外の田んぼでも、朱色がかった赤い色のトラクターを駆使して作業する姿があっちでもこっちでも見られた。日射病になるほどの暑さではないが、多くの人が帽子を被っているのは長年かけて身についた習慣なのかもしれない。
こうして私が窓の外を眺める最中にも、網戸にはたくさんの虫がへばり付いている。そしてどこからともなくそれらの虫は部屋の中に入ってきて私をイライラさせるのだけれども、数日も滞在してそれらの虫が特に私を苦痛に至らしめるようなことがないとわかると、意外に平気に感じられてくるのだった。共にここに来た我が家の猫は、それらの虫を歯牙にもかけない。獲物にしては小さすぎるのだろう。
このような、本州では恐らく一般的な農村地帯に数日滞在するのは私は初めてなのだが、今のような農作業期は、とにかく寄合いが多い。そしてその寄合いに集まる人の多くが定年後の男性で次の日に特に会社勤めなどもないために(農村地帯では寄合い参加は男性の仕事らしい)、話し合うべきことが終わると飲み会へと変わっていくのだった。農業では食っていけないことが主な理由だと考えられるが、20代30代で跡を取るためにこの地に残る者は皆無に近く、やけ酒なのかただ暇つぶしなのかはわからないが、おじさんたちは夜な夜な飲んだくれているようだ。そして当然のように若者はより離れていく。
私が何泊かさせてもらった農家では、母屋に主に家計を支える60代の夫婦、離れに80代のおばあちゃんと30代の息子が暮らしていた。
そして数日いてわかってくるのが、庭や母屋、離れを含めたこの空間が、まるで会社のようなのだ。現役をすっかり退いたとみなされているおばあちゃんは、60代の息子夫婦がいないとのびのび生き生き私に話しかけてくるのだが、息子夫婦が居るときはほとんど口をきかない。それは30代の彼も同じである。部下が上司に気を使うような、社内に上司がいると鬱陶しいと感じるような、そんな空気が60代の夫婦がいると流れているのだ。これは大学入学以降、東京で一世代のみの暮らしを続けてきた私にはショッキングな発見だった。大学のゼミの教授が、結婚は永久就職ね、と言っていたのは、この暮らしを見ていると確かにある意味本当である。
京都の田園から話は変わるが、京都のお寺はとにかく拝観料が高い。ぼる事で有名ではあるが、目に余る殿様商売である。昔拝観料無料にしようと市長が政策を立てたらしいが、それに対して坊主たちがそれなら観光客に対してすべて門を閉めると強硬手段に出たと夫が話していた。昔から京都の坊主は魂を売っているらしい。
それでも今回京都に来ていくつかお寺を巡り、あと数日かけてもう幾つかの寺を巡ろうと考えているが、京都新聞の投稿欄にしばしば載るという悪名高き京都のバスの運転手やぼったくりし放題のお寺を見ていると、もう京都に来なくていいと思えるようになってきた。
都内の家の近所にある、いつでも無料で入れるお寺が懐かしい、、、。