このお寺は長等山という山の麓にあり、私が総門から入って最初に行った観音堂までは、けっこうな石段を上ることになる。天台寺門宗の総本山だけあってそれなりに大規模な境内には他にいくつものお堂があり、山の景色の中でとても良い風情をかもし出している。観音堂から金堂までの緩やかな下り坂は、歩いているとボーっとしてくるのんびりさだったが、京都のお寺とは一味違った飾り気のない素朴なお寺だった。
その後駅から三井寺に向かったのとは反対方向に向かって歩くと、15分ほどで琵琶湖畔に辿り着いた。そこには芝生広場があり、晴天の下では地元の人や観光客たちが昼寝する姿が多数見られた。私もその中に混じって腰を下ろしていると、湖に向かって100メートルくらい右にあるフェリーターミナルからミシガン号という客船が、いかにも力強く発進するアナウンスとエンジン音が聞こえてきた。この琵琶湖にして船の名が「ミシガン」とはどういうことかと疑問に思ったが、滋賀県がミシガン州と姉妹提携しているためらしい。
琵琶湖疏水にあった明治を思わせるような堰
三井寺に行く途中に兎年生まれの守護神を祀る三尾神社があった
手水舎も兎
門の向こうが本殿
三井寺の観音堂
金堂
仁王門
琵琶湖を行くミシガン号
琵琶湖で一時を過ごした頃には13時を過ぎていたのだが、この時突如、ここからならば比叡山に行けなくもないと思い、三井寺駅から京阪坂本駅に向かった。そこから1キロほど歩くと比叡山ケーブルカーがあり、私が乗ったケーブルカーは最終の15時発だったけれども数十人の観光客が乗っていた。
2000km強ある日本最長というこのケーブルの途中には石仏があったり滝が流れていたりと目が話せない旅路なのだが、書写山のような鬱蒼としたのみ込まれるような霊山というより、高尾山のような身近に感じる霊山だった。
ケーブルを下りると、まずは根本中堂へと向かった。
根本中堂までは若干の上り下りがあり、午前中はもうすっかり消えたと思っていた先先日の足の疲れがどっと出てきたのを感じ始め、根本中堂に入るために靴を脱ぐ頃にはヨレヨレだった。それでも本尊である薬師如来に手を合わせ、その前に建つ「不滅の法灯」なる灯りをショボジョボの目でジッと見てみた。そして法灯が不滅でも自分が滅びそうだと実感しながら根本中堂を出た。
すると根本中堂に入る前に見て見ぬ振りをして通り過ぎた、「さあ上りなさい」と言わんばかりに聳えるお城の階段のように急な勾配の石段が目の前に現れるのだった。そしてここでも先日私の心に現れた貧乏性的意地が出てきて、私は「せっかくだから」とその階段を上るのだった。上った先には文殊桜が、さらに挑発するように私の前に聳えていた。
文殊桜の中にはつい先ほど上った石段とは比べ物にならないほどに急な木の階段が二階に続いて、それは階段というより梯子に近いほどの角度で、一段一段足を踏み外さないよう確認しながら上ることを強いられた。
非常に大変な思いをしてここの二階に安置されている文殊菩薩に手を合わせるのだが、ふと見ると、置いてある絵馬には「○○大学に合格しますように」などと書いてあり、ご利益が学業増進と、とっくの昔に学業生活におさらばした私にはあまり縁がないことに愕然としたのだった。文殊といえば高速増殖炉の「もんじゅ」しか思い浮かばなかったことが残念でならなかった。
文殊桜を上がったのはいいものの、下りるのはもっと大変だった。そして私の足の筋肉は限界に達し、西塔に行くのを簡単に諦められる状態だった。
その後戒壇院をちょっとだけ覗いて延暦寺バスセンターへ向かい、10分後に出るバスを待とうとしたものの、すでに30人くらいの観光客が並んでいた。バスでは当然座れず、時々出くわす京都独特のバスの運転手らしい乗客をいびるような仕事ぶりにひきながら、三条京阪で無事バスを下りた。非常に疲れていたが、目の前を流れる鴨川の畔でしばらく休むとすっかり疲れが取れ、一日を終えることができた。
黄砂のために比叡山から琵琶湖をくっきりと望むことはできず、黄砂を浴びながらの旅だった。でもそれも幻想的で良いものに思えた。
石仏群
ケーブルの途中にある川
比叡山の木々たち
ケーブルを下りたところからの琵琶湖の眺め
黄砂で靄がかかったよう
文殊楼からの根本中堂
文殊桜
戒壇院
鴨川から御池方面に歩いていてたまたま見つけた本能寺