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2011年5月19日木曜日

地獄めぐり・続き+鉄輪温泉

先日行けなかった龍巻地獄と血の池地獄に行こうと、朝の9時ごろホテルを出た。やはりこの日も日差しは強く、通りには日傘をさして歩く姿が多数見られた。

龍巻や血の池地獄は日豊本線の亀川駅から歩いて行ける距離とのことで、一時間に1~2本ある各駅停車に乗り、別府から亀川へと向かった。

途中には別府大学駅というのが一駅だけあるのだが、それまで教科書を広げて乗車していた学生さんたちがごそっと降りて行った。そしてその学生たちが座っていたのはバスの一人シートのように座席が一つ一つ分けられているもので、随分豪華な通学ではないかと思った。しかもUVカットガラスである。

海側にかすかに別府湾が見張らせるところを日豊本線は走っている。私が泊まった別府のホテルは駅の目の前にあるため、ひっきりなしに電車の往来の音が聞こえ、夜になって別府湾の方を見渡すと、海と空の境目はなく真っ暗になる。そしてその真っ暗な中に、赤と緑と青の宿を示すネオンが浮き上がっていた。そんな昨日の日没後を思い出しながら、亀川駅を降りて地獄めぐりを再開することに。

駅から歩いて行ける距離とはいえ、緩やかな坂道を日差しを遮るものがないまま25分ほど歩くのはなかなかな体力の消耗だった。そして、地獄まではいたって普通の民家や病院が並び、その向こうには山が迫るだけで、特に目につく面白いものはない。昨日も大分歩いて疲労がたまっているために、思考力は著しく低下し、ただの国道歩きにしか思えない25分となった。

そしてもうこれが続くのは嫌だなあと思った頃、龍巻地獄の看板が見えるのだった。ようやく着いたとホッとして入場すると、ちょうど間欠泉が噴き上がるところだった。ラッキーである。一度噴き上がると30~40分待たなければならないので、私はこの噴き上がる間欠泉を食入るように7分ほど見続けるのだった。

この間欠泉は、まっすぐに勢いよく湧き上がり、それがしばらく続くと(龍巻地獄のは6~10分ほどらしい)それが止むことをにおわせるほどに勢いをやや弱め、一気にとまる。なんだか、こんな一生がいいなあと人生の見本のような噴出だった。

その後すぐ近くにある血の池地獄へと移ることに。

血の池地獄は「血」というだけあって、赤い粘土が煮えたぎった池がある。それは蒸気までが赤みを帯びていて一見恐ろしいさまではあるが、この温泉成分は皮膚の病気に効くという。

私はここの足湯にしばらくつかって亀川駅から歩いた足の疲れを癒したが、別府で初の酸性の湯は足をすっきりさせてくれたと思う。

地獄めぐりをするほとんどの観光客は団体かカップルで、一人で歩いているのは私以外ほとんどいない。先日、どこの地獄でのことだったか、受付に誰もおらず、仕方ないので勝手に入って店員さんを探していると、向こうから作業着を着た男性が歩いてきた。私が切符を差し出すと、ごめんなさいね、どこからいらしたの、お一人?(私)はい、一人です、東京から来ました、と言うと、そう、東京の人って感じよと、オネエ言葉で話しかけられるのだった。東京の人って感じって、どんな感じなんだろうと、この言葉に少々悩まされてしまった。

ところがである、夫のお母さんという人は一人旅ができない(できないわけないのだが、ラジカセ犬状態で、できないと思い込んでいる)とよく言っていることを思い出すと、一人旅は珍しく、団体観光客の光景は特に地方では当たり前なのかもしれない。私が道内で高校生だったとき、同級生で東京からやって来た人が、マックなどに一人で入店するとジロジロ見られて驚いたと話してくれたことがあった。今はさすがに私が故郷に帰って一人で入店してもそんなことはないが、20年くらい前は、数十万の人口を抱える中核都市であるにもかかわらず、とてつもない村社会の色をもっていたのだ。そしてそれはあながち過去形ではないのかもしれない。

由布院も別府も、観光客がよく通るところは外交的で明るいが、二つ三つ通りを違えると、地元感あふれる人間関係が見えるような日常が繰り広げられている空間になる。そこでは後期高齢者でなければ独り身の人などいないような空間で、独特の同調圧力を感じる。自律より協調性、活発であることより忍耐が求められる世界だ。その圧力は、時に安心感でもあるのだろう。

たまに通りに現れるおじさんやおばさんたちはよほど朗らかか、さもなければドストエフスキーの小説に出てくるような表情も思考も固まった様子で、狭苦しい世間ですっかり意固地になったと思える人も珍しくない。そしてこれと同じような世間で生きる夫の母は、村社会の不文律に反すると「生きていけへん」と頑なに主張する。そしてそう言いながらも60過ぎまで生きているのだった。

いろいろあったが(特別なことはなにもない)なにはともあれ無事別府地獄めぐりが終了した。別府は山から海にかけてある街で、どこを歩くにもある程度の坂道は覚悟せねばならない。そのため思った通り足が筋肉痛になったが、海と山のある眺めは私が最も好きな風景の一つなので、歩ける限りまた歩こうと思う。

龍巻地獄の間欠泉
つつじ庭園がある

血の池地獄

その後、血の池地獄から路線バスで鉄輪へと向かった。

鉄輪には「ジモセン」と呼ばれる共同浴場が多数あり、無料の足湯や蒸湯などもある。先日巡った6地獄の下方に位置する鉄輪温泉エリアに、これまた日差しの強い昼日中に突入した。

バス停の近くの観光案内所には観光客がごった返して、外国人相手に英語を駆使する職員が大変そうだった。隣の足湯と足蒸湯は7割りほど埋まって、私も帰りに足蒸湯なるものに挑戦してみたのだが、あまり効果が感じられず、結局液体の足湯に移動してしまった。

この隣にははじめに見ることとなるジモセンの「上人湯」がある。私はそこを素通りしていでゆ坂を下り、筋湯通りに入って「すじ湯」に入った。パンフレットに源泉かけ流しとあったのでここに決めた次第である。

すじ湯には二人の地元のおばあちゃんがいた。私が観光客であることを人目で察知したおばあちゃんは、熱ければあそこの水を足すといいよ、でも今ちょうど良い湯だよ、と教えてくれた。その後長寿について語り合っているらしい二人が出て行き、私は一人湯船を独占することとなりのびのび浸からせてもらった。入る前に賽銭箱に100円入れて入る温泉は都会にはない風情だった。

一風呂浴びて疲れも癒えたところで、今度は鉄輪銀座通りからいでゆ通りに出た。そして鉄輪銀座は猫銀座でもあることに気づくこととなった。なにかとご近所トラブルになる猫や犬であるが、ここ鉄輪銀座の猫たちは程よく私を警戒し、ほどよくリラックスしているようだった。その余裕のさまは、ほどよく温泉にもつかっている効果なのかもしれない。

平日ということもあり、観光案内所付近以外はそれほど混んでいない鉄輪界隈。外国人観光客が来てくれることが私の故郷である北海道にとってもとても重要なことなのだが、福島原発が爆破して以降、別府でも外国人観光客は少なくなって困っているのではないかと危惧するものがある。

日本で暮らす日本人にとって福島や東京から北海道や九州は、ほとんど原発の脅威を感じることのない距離とされるのだけれども、外国の人にとっては十羽一からげに「日本」であるようだ。厳しい現実である。

それでも至るところにポスターが貼ってあるアルゲリッチ音楽祭の総裁であるアルゲリッチ本人は5月8日に別府入りしたそうで、一安心だ。東京でのイベントはキャンセルしたそうだが、大分には来ている。

別府には、別府八湯と言われるように八ヶ所の温泉郷が集まっているが、今回は別府温泉と鉄輪温泉しか行けなかった(しかも別府温泉はホテルの大浴場)。他の温泉郷もいずれまわってみたいと思う海と山に挟まれた別府である。

鉄輪の猫

こちらも

三毛ちゃんも参戦

そして去っていく

またまた猫

すじ湯

こんな湯船