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2011年5月20日金曜日

アルゲリッチ音楽祭

温泉巡りに明け暮れた感のある由布院・別府散策であるが、今回別府に来た最大の目的は、アルゲリッチ音楽祭のチェンバーオーケストラ・コンサートに行くことである。

そしてようやくその日はやってきた。

会場であるビーコンプラザは別府駅から歩いて別府公園を抜けたところにある。緑豊かなこの公園を歩いていると、おじさんに連れられ散歩している猫が木によじ登り、落ちそうになってニャーニャー鳴いているのに思わず注意を奪われた。まだ子供っぽさの残るその猫はアメリカンショートヘアだと思うが、おじさんは自慢気に懸垂状態に陥ったその猫をあやしていた。そんな光景を後にビーコンプラザに着いたのは18時。もうすでに多くの人がロビーをウロウロして、売店に並んだり、ポスターを眺めたり、椅子にじっと座って開場時間を待っていた。

私は小さい頃自ら好んでピアノを習っていたが、練習に使っていた家のピアノは母が結婚前に幼稚園教諭を務めた際に、最初にもらったボーナスで買ったという代物だった。結局5年くらい習った後にピアノの先生のヒステリーが嫌になって習うのをやめたけれども、おそらく自分が習ったこともあって親しみがあり、今でも楽器の中では特にピアノが好きな私は、なかでもアルゲリッチ贔屓なのだった。

話をコンサートに戻す。

公演が始まり、最初に演奏されたのはB.ブリテンのシンプル・シンフォニーだった。この曲にはピアノ部分がなく、アルゲリッチはまだステージにいない。オーケストラは演奏旅行に慣れきってダレていることがままあるが、ここでもオーケストラはまだまだ肩慣らしといった雰囲気だった。

次の曲はアルゲリッチがピアノを弾くショパンのピアノ協奏曲第一番である。この曲が公演の目玉であるのは言うまでもない。ほぼすべての観客はアルゲリッチ聴きたさに来ているので、アルゲリッチがステージに現れると当然拍手は大きかった。そして彼女の演奏は、彼女の最も素晴らしい演奏だったとは思わないが、十分拍手にこたえるものだった。

先ほどまでのオーケストラの緊張感のなさはどこへ行ったのか。それはまるで主役のない演奏だった。ところがアルゲリッチがステージに現れると、その存在感の重さ、音楽へのストイックさが団員にも十二分に伝わるようで、ようやく本物の演奏が始まった。アルゲリッチのピアノのみならずオーケストラもアルゲリッチに引っ張られて音色にキレが出てきた。そして協奏曲は、ユーリー・バシュメットの指揮が存在しないように感じられるほど、アルゲリッチのものだった。CDではいつも聞いているのだが、こんなに潔くピアノを弾く人を初めて見たと私は思い、それは絶大な喜びとなり、他の観客も大いに感動しているようだった。

私の後ろの席の女性数人組みはアルゲリッチの出番が終わると、公演の後半部分が残っているにもかかわらず、ああ、もう終わっちゃったね~と何度もつぶやきあっていた。しかしそのわりに、ちゃんと後半部分も着席して、ブルッフのコル・ニドライとチャイコフスキーの弦楽セレナードを聴いていた。そして本当に曲目すべての演奏が終わると、本当に終わっちゃったね~、と音楽祭の終焉を惜しんでいた。

アルゲリッチは6月5日に70才の誕生日を迎える。そのために、全演奏が終わってアルゲリッチが再びステージに現れたとき、いつの間に準備されていたのか、上階の観客席の隙間にラッパ奏者が並んでハッピーバースデーの曲を奏で始めた。ステージ上にいるアルゲリッチはびっくりしていたが、実はこの日は私の誕生日だったので、一人別府で過ごす身である私は自分のことのように勝手に喜んでいた(私のためにラッパを吹いてくれたわけではもちろんないが)。

オーケストラは桐朋学園オーケストラにモスクワ・ソロイスツ選抜メンバーが加わったもので、アルゲリッチとの腕の差は雲泥であったが、とても良い思い出となるコンサートだった。