北海道のオホーツク沿岸の中央部に上湧別という町がある。東京に来るまでの18年間を北海道で過ごした私だが、今日、母が上湧別のチューリップ公園に行ってきたとメールで知らせてくるまで全く知らない町だった。この町はサロマ湖にほど近く、国内でも有数のチューリップの名所とうたわれる100品種以上を揃えたチューリップ公園があり、都内より一月後れて今、チューリップの見頃を迎えているようである。
私がいる東京はというと、私を追い込むかのように異様に早い梅雨入りと台風2号に見舞われ、連日強い雨だった。
雨に打ちひしがれるのを恐れるように家にこもってアスファルトを叩きつける雨を時々眺めては、まだまだやみそうもないとため息をつき、部屋の空気を入れ替えようと窓を開けた。すると、相変わらず我家の猫はベランダに出ようと窓際に歩み寄るも、風の冷たさに気おされたようで、窓辺で立ち尽くしたまま外を眺めることに決め、雨に濡れるのを嫌がるようにそれ以上外ヘは近づかなかった。
猫とは反対に、夫はこの雨に触発されてか近所の市営プールへと運動しに行くと言い始めた。そして数時間して帰ってきた時には、芋の子洗いだったとブツクサ文句を言う始末である。土日はいつも混んでいるものだが、雨でどこにも行けない子供たちがプールに集まったのかも知れない。次いでに夫のようなおじさんも。
私は雨の中を散歩に出かけた。
歩き始めてすぐのところにある橋のたもとでは、50センチほどの段差を茶色く濁った水が勢い良く流れ落ち、深みにはまった水は再び浮上し何度も大きな波を弾ませながら下流へと流れていった。いつもは身近なちょっとした自然としか捉えてなかったこの川も、こうしてみると大自然のただ中に投げ込まれたような感じを抱かせるのだった。
上流からはひっきりなしに空のペットボトルが流れてくる。ここの川原でもそうであるように、川沿いの至る所でバーベキューなどをした際にそのまま放置されたものが、水が増えて流されてきたものだろう。他にも、川の水が茶色いために目立たないが、折れた木の枝がたくさん水に混じっている。中には太い枝もあり、それはさすがに遠目で見る私にもはっきり流れ行くさまが追えるのだが、段差のところで一気に滝壺に吸い込まれたかと思いきや、数秒後に浮上し、水の動きをそのまま体現しながら二度、三度と同じ地点で弾むような動きを見せ、その後は何にも邪魔されることなく下流へと流れていくのだった。
私はさまざまなものが流れ行くさまを珍しく思い好奇心に駆られ、土手から下りてもっと近くで見られるようにと川の流れに近づいて行った。間近で見る流れは遠目で見るのと臨場感の点でそれほど変わるものではなかったが、水の中には本当に多くの枝や葉が含まれていることがよりはっきりと確認できた。そうしているうちに、橋の上になにやら人影がいるのが目に入った。透明のビニール傘をさす仕事帰りのようなスーツを来たおじさんが、歩みを相当に遅くしてこちらを眺めているのである。
そのおじさんは、私が小柄でオレンジ色の派手なジャージの上着を着ていたので子どもが遊んでいるとでも思い、川に落ちるのではないかと心配しているようにも見えた。あるいは、トチ狂った大人が妙な好奇心をもって川を覗いているのを、川に落ちるのではないかと心配しているようにも見えた。私はそのおじさんの様子に素早く反応して川から遠ざかり、土手の上へと戻った。するとおじさんは真っすぐ前に向き直り、普通に歩き始めるのだった。
暴風雨を前に窓際で立ちすくむ猫の行動は、模範的で正しいように思える今日この頃である。