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2010年3月28日日曜日

旅・その三・鹿児島 宮崎 四泊五日

宮崎県の青島海岸、洗濯岩でございます。
潮が引いたところを実際に歩いてみたのですが、
確かに洗濯板状になってます。
調子に乗って歩いていると、コロンっとこけてしまいました。
が、ダウンのコートを着ていたせいもあってか、
ぶつけてもあまり痛くないんです。
とげとげしているように見えますが、
波であらわれて滑らかなのかも。

鹿児島  開聞岳を望む池田湖からの風景。
菜の花畑が満開です。
1月下旬に訪れたのですが、
鹿児島はこの季節に菜の花が咲くんです。
茶畑も多く、知覧茶で知られてます。
仙巌園・磯庭園からの桜島。
磯庭園は、薩摩藩主島津氏の別邸跡とその庭園。
借景技法を用いて、桜島を築山に見立てています。
何時間いてもこの眺めは飽きません。
1948年に華族制度廃止に伴い、
鹿児島市の管理下におかれたのですが、
1952年に島津氏に返還され、島津興業が管理しています。
主の島津さんを見かけますよと、ガイドさんがおっしゃっていました。
桜島に上陸すると、風が吹けば灰が飛んできます。
私が行った日は風が強かったので、灰が舞ってすごかったです。
白いコートを着ていたのですが、灰色になりました。
桜島に船で渡ると、海水は東京湾よりずっときれいで
深い緑色をしているのがわかります。
溶岩で大隅半島と陸続きになった桜島までは、
船で四キロほど。
目の前にいつも煙を上げる島があることを、
鹿児島の人は、きっとその脅威も含めて、
自然のものと受け止めているように思えます。

桜島をバスで走っていても、
間近で噴煙を上げている活火山だというのに、
怖いとは感じなくて、
それどころか優しい山だなあと思います。
溶岩がむき出しになっていても、
それでも優しい山だと感じてなりません。
私は大雪山を見て育ったのですが、
同じようにむき出しの岩でも、
大雪山は猛々しくて恐ろしさを感じさせるのに、桜島は暖かいんです。

鹿児島市は六〇万人の都市だけあって、
天文館を中心に繁華街がずっと広がっています。
そこがおおらかで穏やかに見えてしまうのは、
東京の足早な人々を見慣れているからかもしれません。
命を奪われるかもしれないのに桜島には植物が生え、
動物はそこに住み、
そしてよそからも人はそこに行きたがるんです。
命をかけてでも触れあいたいと思わせる魅力とエネルギーがあるのでしょう。

                   鹿児島限定焼酎 「薩摩義士」
駅ビルのお酒コーナーで、店員さんに鹿児島限定のオススメ焼酎は何ですか、とお聞きしたところ、これを紹介してくださいました。アルコール度数25度のものが多いなか、薩摩義士は32度なんです。それも人気の秘密とか。お酒は弱い私ですが、薩摩義士で毎日ちびちびとですが晩酌してます。確かにおいしいですよ。


「鹿児島滞在二日目のこと。
初日は一人でホテルにいることが、
なんだか遠洋漁業にでる人とその家族のように孤独に感じられ、
学生時代に一人暮らしをしていたにもかかわらず、
こんなにも一人暮らしとは孤独で心許ないものなのかと再確認しました。
母はよくああして一人でやっているものだと感心するとともに、
姉や母の一人暮らしを思うとどれだけ寂しく孤独であったか、
そしてそれをどれだけ私がかえりみてこなかったかを考えて
戻ることのできない現実に辛くなりました。

初日は気候に慣れないせいか風邪をひきましたが、
昼夜の差をつかみだした二日目は、
ホテルでも毛布を二枚借りて、寝支度です。

フラワーパークの植物には圧倒されましたが、
南国では当たり前なのだから、
それに驚く自分に不思議を感じるのですが、
見たこともないものを見ると、
最初は驚き、徐々に慣れ、しばらくすると存在を気にしなくなるんです。

鹿児島の人々は桜島を毎日みていますが、
きっとあまり意識していないのだと思います。
大自然が自然なんですね。
大自然が縁遠い東京暮らしの私の、
こんなにも自然を目に焼き付けようとする、
貧乏性のような姿は、
現地の人には奇異に感じられのではと思います。
でも、すべてが新鮮で、
すべてがホームシックを誘い、
すべてがこれまでの人生の喜びと悲しみを思い起こさせるんです。

必要なエネルギーをいっぱいもらって、
大地を歩いて汗をかいて、全部血を入れ替えて帰ろうと思います。」



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