ページ

2010年4月22日木曜日

映画監督の仕事

映画監督とは、映画の映像作成を統括する責任者で、ディレクターとも呼びます。一般に、製作を担当する製作者・プロデューサーと並んで、その映画の2トップです。


商業映画であれば何百人という人間が携わることになる映画も、「映画は監督のモノ」と言われるほどその立場は大きな意味を持ちます。程度の差こそあれ制作現場では絶対的な権力を有してます。
それは芸術としての映画を研究・分析する場合、研究対象は俳優でもプロデューサーでもなく、必ず監督であることからもわかります。(映画「エド・ウッド」のなかで、勝手に配役を決められたことに監督ウッドがふざけるな~と怒り狂い、気を落ち着けるために趣味の女装をして現場に現れたシーンがあります。それくらい、監督は基本的に絶対なんです。そして史上最低と言われる映画監督ウッドにもそのプライドがありました。)

映画監督の基本的な責任範囲は「映画作品としての品質管理」です。企画、製作は基本的にプロデューサーのやる仕事であり、監督という職種の本来のテリトリーではありません。(監督がプロデューサーを兼ねる場合もよくあります。そして、脚本や編集、音楽を兼任することもあります。)


経済的事情を始めとするさまざまな理由によって、主に商業映画を中心に仕事をする監督は自らが理想とする映画を完璧に作り上げることは困難とされます。オーソン・ウェルズも悩んでました。少しでも理想に近づけるための交渉術なども、監督にとって重要な資質であるといえます。使いたくもない俳優をつかったりしても、そんな俳優に「白い猫も黒といえば黒」と言って、「真冬でも夏と言えば真夏」と海に入らせ演技させるのも監督なのでした。

また、それぞれの専門的なスタッフのアイディアをくみ上げ、アイディア1つ1つについて吟味し、採用したり却下したりという判断を下すことも、監督の重要な仕事です。でないと、てんでんバラバラの作品になります。

なお、制作会社などに勤務する「雇われ監督」の場合、基本的に製作の自由はありません。どういう映画を作るかは、雇い主や経営者が決めることで、雇われ監督は、それに従うしかないのです。経営陣は事前に市場調査を行ない、その結果、大衆が好みそうな映画が制作されることになります。「紳士は金髪がお好き」におけるハワード・ホークスはまさにこれです。この作品で彼は、20世紀フォックス社の雇われ監督だったのでした。

北野武は「初めて映画監督をした時こんな大変な仕事はないだろうと思った」と述べており、映画監督が過酷な仕事であるのが伺えます。

映画監督、大変大変と言いながらも、なぜか次の作品を手がけるあたり、やはり続ける人はそれでもやりたいんですね。それが監督のサガでしょうか。